小倉百人一首 短歌翻訳第9篇
解説・翻訳:宿谷睦夫 英文添削:ブルース・ワイマン
監修:ボイエ・ラファイエット・デイ・メンテ

“100 tanka poems by 100 poets” (Chapter 9)
Compiled by Teika Fujiwara
translated by Mutsuo Shukuya


Translator: Mutsuo Shukuya himself
Auditor: Bruce Wyman
Supervisor: Boye Lafayette De Mente


“100 tanka poems by 100 poets”(Chapter 9)

033 Tomonori Kino

Hi sa ka ta no
hi ka ri no do ke ki
ha ru no hi ni
shi zu ko ko ro na ku
ha na no chi ru na mu


Why in a hurry
have cherry blossoms fallen
on the day in spring
when the sun shines so brightly
with the calm breeze fluttering?

Reference: commentary post(3)
(2) What is tanka?

(8) Tanka in August (2000)平成12年

(3)Tanka in March(20003)平成15年



034 Okikaze Fujiwara

Ta re wo ka mo
shi ru hi to ni se mu
Ta ka sa go no
ma tsu mo mu ka shi no
to mo na ra na ku ni


Whom on earth shall I
spend my time with everyday?:
most of my old friends
have already passed away
except the pine trees
which stand on Takasago's
shore just like old friends
but it is impossible
to talk with them all as friends.


035 Tsurayuki Kino

Hi to wa i sa
ko ko ro mo shi ra zu
fu ru sa to wa
ha na zo mu ka shi no
ka ni ni ho hi ke ru


As cherry blossoms
smell fragrant year after year
without fail in spring
they are in bloom this year, too
in home town where parents are.

Reference: commentary post(3)
(2) What is tanka?




036 Fukayafu Kiyohara

Na tsu no yo wa
ma da yo hi na ga ra
a ke nu ru wo
ku mo no i zu ko ni
tsu ki ya do ru ra mu


The day seems to break
despite the shortness of this
summer night and I
wonder how the moon has passed
behind the clouds this evening.

Reference: commentary post(3)


「小倉百人一首」第9篇

033紀友則(845?-907)(三十六歌仙の一人09)

久方の      ひさかたの
光のどけき    ひかりのどけき
春の日に     はるにひに
しづ心なく    しづごころなく
花の散るらむ   はなのちるらむ

(「日の光も長閑な春の日に、なぜ桜の花は穏やかな心もなく散って行くのだろうか」という意味の歌で、光・雲・空等に掛る修辞法「枕詞」「久方の」を用い、桜を人に見立てて、作者の花の散って行く寂しさを重ね合わせて表現した歌です。これも伝統和歌の模範的秀歌と言える歌です。) 解説(3)参照

下記・右記参照: 解説(3)
第一章第 2節 短歌とは何か?(古今集の歌)

第三章第 8節 八月(葉月)「谷紅葉」(たにのもみじ)

第六章第 3節 三月「落花」(おちるはな)



034藤原興風(?-914-?)(三十六歌仙の一人10)

誰をかも たれをかも
しる人にせむ しるひとにせむ
高砂の たかさごの
松も昔の まつもむかしの
友ならなくに ともならなくに

(「(年老いた私は、いったい)誰を知人としようか。(相手に出来るのは、年老いた高砂の松ぐらいだが、)その高砂の松でさえも、昔からの友人ではないのになあ。」という意味の歌で、人間の理想である長寿が、そのまま老いの嘆きとならねばならない人生の悲しさが、同じ気持を口には出せないでいた撰者・定家の心を捉えたのではなかと言われています。)


035紀貫之(868?-945)(三十六歌仙の一人08)

人はいさ ひとはいさ
心も知らず こころもしらず
故郷は ふるさとは
花ぞ昔の はなぞむかしの
香に匂ひける かににほひける

(「人の心は変わり易く、その心を知ることは出来ないが、故郷に帰ってきて、梅の花だけは忘れずに昔のままに咲き盛っていてくれていた」という意味の歌で、故郷で迎えてくれる人の心は変わってしまって、親切に出迎えることをしてくれなかったけど梅の花だけは私を歓迎してくれていたという人に対する皮肉を交えて詠んだ歌です。菅原道真の歌にこれとは逆に、大宰府に左遷されて、故郷の庭の梅に呼びかけた「東風吹かば匂い起せや梅の花主なしとて春な忘れそ」の歌があります)

下記・右記参照: 解説(3)
第一章第 2節 短歌とは何か?(古今集の歌)


036清原深養父(?-930-?)清少納言の曽祖父

夏の夜は なつのよは
まだ宵ながら まだよひながら
あけぬるを あけぬるを
雲のいづこに くものいづこに
月やどるらむ つきやどるらむ

(「夏の夜は短くて、まだ宵と思っている内に明けてしまったが、月は雲のどのあたりに宿っているのだろう」という意味の歌で、夏の夜の短さに驚き、惜しむ気持を表現していると同時に、いつまでも眺めていたいという月への思いも篭められている歌です)

右記参照: 解説(3)


「小倉百人一首入門」(目次)
100 Tanka Poems by 100 Poets Contents


古典短歌講座(第1版)
Classical Tanka composition in English (1)


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