古典短歌講座
Classical Tanka composition in English
宿谷睦夫
Mutsuo Shukuya


第二章(〜短歌の作り方〜)[入門講座U]
第 7節 言葉の選択
[U]How to compose tanka (Primer course U)
(7) To select more proper words as verse


[U]How to compose tanka (Primer course U)
(7) To select more proper words as verse

 The seventh principle of composing tanka is to select more proper words as verse in your tanka, which you usually write.
 In this chapter, “How to compose tanka,” I have mentioned six principles of composing tanka up to now. But in summary, I can put them in order into three patterns. One of them is that you should write tanka in strict 31 syllable form. Another is that the motive to compose tanka must be a heart full of love for everything. And last is that you should practice constantly in order to express this heart and this love in strict 31 syllable form. What I will show you last in this chapter is how to select proper words as verse in your tanka, as you write.
 Originally tanka was verse which a person sang as a song. So, tanka was to sound comfortable when a person listened to it. When one tried to compose tanka, one therefore selected the proper words in one’s tanka so that it might sound comfortable for people listening to it recited. Often, words were pronounced differently from conventional pronounciations to achieve this goal. For example, we had to pronounce “燕” not ‘tsubame’ but ‘tsubakuro’ and also pronounce “蛙” not ‘kaeru’ but ‘kawazu’, and “東” not ‘higashi’ but ‘himgashi’.
 Next, you must not use negative words such as “hard, painful an ugly” in your tanka, but you should use the positive words.
 Furthermore, you must use the words through which you can sympathize with others who also try to compose tanka: tanka have been originally composed for people to enjoy together sharing appreciation for the same themes. In Manyo period, most poets composed tanka as hanka after choka, which has more segments than tanka for poets to explain their hearts in detail. And later they learned to compose from “kotobagaki” or ‘the theme words’ and then to compose about the themes as we do today.
 Here, I’d like to show you you 4 tanka: the former 2 tanka composed by Monk Saigyo and Ono no Komachi, which are composed on the theme, “Weeds, grasses or leaves along the stream-side.” And then the latter 2 tanka are mine which are printed in the collection, “300 true tanka” compiled by James Kirkup.

道の辺に清水流るゝ柳陰しばしとてこそ立ち止まりつれ
Beside the path, where/ a clear stream ran, in the shade
of a young willow,/ I thought to pause a moment?
but found I had taken root. by Monk Saigyo

蒔かなくに何を種とて浮草の波のうねうね生ひ茂るらむ
Where do they come from,/
the seeds of these floating weeds
no one tries to dow?--/ now growing thick on waves that
wash them hither and thither. by Ono No Komachi

緑なす羊歯の葉陰に琴の音の妙なる響き醸す石笛
Behind fresh green leaves/ the melodies of koto
and flute resound/ while a man ladles water
pured into a strange clay cube. by Mutsuo Shukuya

浅緑楓の小枝揺るゝ下岩影写す小波の池
Beyond the branches/ of maple, stones arraged on
the bank, mirroed in/ lake water, where jumping crap
are creating calm ripples. by Mutsuo Shukuya
第二章(〜短歌の作り方〜)[入門講座U]
第 7節 言葉の選択

 短歌を詠む為の第七の原則は、詠むべき短歌の中に、詩歌としてより適切な「言葉の選択」をすべきだということである。
本章の「短歌の作り方」では、これまで短歌を詠む為の六つの原則を述べてきた。しかし、結論としは大きく三つに分類出来ると思う。一つには、「短歌は31文字(英語では31音節)という厳しい定型で詠まなければならない」ということ。二つには、「歌を詠む心は自然を観察して得られる喜びやその賞賛、つまり全てのものを愛するという神の様な心に由来する」ということ。そして、最後の三つ目には、「愛に由来する歌の心を31文字という厳しい定型の短歌の中に表現する為に、弛みなき訓練が必要である」ということである。そして、本章の結論として、最後に述べなければならないことは、詠むべき短歌の中に、詩歌としてより適切な言葉を選択すべきだということである。
 本来、短歌は声を出して唄うものであった。それ故に、良い歌は声を出して唄われた時に、聞く人の耳に心地よく響くものでなければならないものであった。そこで、短歌を詠む時には予め耳で聞いて心地よい言葉を選ばなければならないのである。
つまり、歌の師範のなすべきことは詩歌としてより適切な言葉の選択の仕方を教えることになるのである。伝統和歌の原点は紀貫之の編纂した「古今集」に由来することからであろうか、これを「古今伝授」と言っているのである。
 そこで、先ず第一になすべきことは、同じ意味の言葉でも、耳で聞いて心地よい言葉を選ばなければならないのであるから、例えば「燕」は「つばめ」ではなく「つばくろ」、「蛙」は「かえる」ではなく「かはづ」、「東」は「ひがし」ではなく「ひむがし」といった具合に用いてきたのである。
 次に、短歌には、辛い、苦しい、醜いといった否定的な言葉は「禁句」と言って用いることは許されず、常に肯定的な言葉を用いなければならない。しかし、歌を詠む心が全てのものを愛するという神の様な心に由来し、歌が自然やそれを生み出した神を賛美するものであるにも関わらず、わざとらしく「神」という言葉を使って、それを賞賛することも「禁句」として用いることが許されない。読者の中には、勅撰集の中でそのような歌を発見した人もいるかもしれない。しかし、それは、神や仏の教えを説く「道歌(みちうた)」に分類されるものである。私の歌の師範である冷泉布美子先生は、例会の度に「冷泉流の歌の基本は自然描写に始って、自然描写に終るものです」と言われてきた。
 更に、歌には共感し合える言葉を用いるということである。伝統的な日本の短歌の初期においては、57の組合せを何度も繰り返して最後に7を添えて作る「長歌」の後に、その長歌の内容をまとめる形で作られた「反歌」から出発した。時代が下がると、「長歌」の部分が「詞書」となり、更に、与えられた「歌題」を詠む「題詠」へと移っていった。つまり、伝統短歌は「与えられた題に沿った歌を詠むもの」であり、予め示された「長歌」や「詞書」や「歌題」と共感し合える言葉を用いることになるのである。
 今回は、4首の短歌をご紹介したい。前半は、「水辺草」を歌題に小野小町と西行法師の詠んだ歌を紹介する。謡曲「草子洗」には、嵯峨天皇の開く宮中歌会ではいつも小野小町の歌が優勝していた。そこで、残念なことであるが、この謡曲の中では、歌を作る人の中にも自分より良い歌を作るのを妬む人がいたというお話である。その人は嵯峨天皇が優勝と決めた小野小町のこの歌は古歌の中に同じ歌があると陛下に申し出たというのだ。それを見た陛下は小野小町にそれを示すと、小町はその草子を水に洗うのでした。すると、小町が詠んだ歌が消えて、全く違った古歌が現われたというお話である。草子を洗うことによって真実が証明されたことから「草子洗」という名前の謡曲となったのである。西行法師の歌は「柳の木陰に暫し休もうと思っていたが、あまりの涼しさに長い居してしまった」という夏の暑い時の涼しさを詠んだ歌である。
 そして、後半は、カーカップ氏が日本の短歌300首を英訳した選集「本当の短歌」の中に選んでくれた私の歌2首である。
 
 

古典短歌講座(第1版)
Classical Tanka composition in English (1)


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