「日本とは何か」(書評集)
宿谷睦夫著

G「日本的ファージー発想が世界を救う」
マレック・カミンスキー著


G「日本的ファージー発想が世界を救う」

 平成二年頃から、筆者は「日本文化」というテーマで講演会の企画を進めていた。そんな時に、本屋の書棚を眺めていたら、これまでに他に取り上げてきた本と同様に、表題の本が目に止まった。
 此迄にも、日米欧の著名な方々の「日本及び日本人論」を取り上げてきたが、此迄のものはどちらかというと論旨がはっきりしていて、理路整然とその論理が説明されているものであった。
 しかし、それに対して、著者のカミンスキー氏の日本論は極めて対照的であるのに新鮮味を感じた。欧米合理主義の論理では、何物に関しても全てが説明尽されるという錯覚のような呪縛に、我々日本人も慣らされてしまってから久しいが、私もその虜の一人であったことに、この本は改めて気付かせて戴いた気がしている。
 この本を手にした当時、私は「二十一世紀は、新しく発見される古事記以前に書かれた著書に記された真の日本思想に依拠して国民が再生される」という霊示を受けた偉人の言葉を頼りに、古事記・日本書紀と共に、古事記以前の書である「ホツマツタヱ」や「ミカサフミ」の研究に没頭していた。
 古事記・日本書紀のことを多くの日本人は未だに、一番古い古典と思い込んでいる人が多い。しかし、よく考えて見れば、古事記や日本書紀は外国人が外国語で書いた書物であることに我々日本人はそろそろ気付かなければならないと思った。つまり、日本人が日本語で綴ったものではないということだ。現在漢字は日本語の中に完全に溶け込んでしまっているが、当時は紛れも無く漢の国の言葉であって、日本語ではなかった。
 日本人の外国崇拝は今に始まったことではないが、記・紀が書かれていた時代には、もう既に今と同じように日本人は外国語を使って得意になっていたようである。外国語を自国語同様に使いこなすことが出来るようになった我々日本人は、よく考えてみれば、確かに大したものだとは思うが、当時、古事記・日本書紀は外国人(帰化人になってはいたが)によって、外国語で書かれた書物であることだけは紛れもない事実である。つまり、古事記・日本書紀は外国人から見た「日本文化論」と言っても差し支えないものなのである。我々日本人は今も昔も変わりなく、よその国の人に自分とは何かを説明してもらって有難がって来た種族であるように思う。
 ある学者によると、日本書紀が編纂された後の日本は、皇室の権威が極めて急速に衰えていったと分析している。
 皇室を尊崇し、日本の伝統の尊さをことさらに強調する人の中に、古事記・日本書紀を日本文化や日本精神の原典と見る人も多い。しかし、「ホツマツタヱ」や「ミカサフミ」という古記と比較研究してみると、古事記・日本書紀が極めて巧妙に皇室並びに日本の伝統を卑しめているものであるかが明白になっている。
 一九九〇年代以降、内外共に「日本とは何か」という日本論がもてはやされている。古事記・日本書紀が編纂された時代と同様に、日本並びに日本の伝統を卑しめようと企んだ書物も多くなってきているとも聞いている。しかし、良識を備えた外国人も少なくない。此迄にも、日本に好意的なホルスタイン氏、フリードマン氏やキーン氏を紹介させて戴いてきたが、今回は表記の著者・マレック・カミンスキー氏を紹介させて戴くことになった。
 カミンスキー氏の日本論は日本を社会の内部から、また生活習慣の経験の中から論評したものである。少なくとも、ユダヤ・キリスト教的欧米合理主義の目から見たものでないことだけは確かだ。論旨の展開は日本人の感性にぴったりしている。一見複雑そうに見える日本人の特質を実に端的に言い切っている。その一例をあげれば、「折り紙」と「ジャンケン」である。
 折り紙遊びで育った日本人は、どんなものでも(それが例え無限の空間を必要とするものであっても)限られた空間の中で用を足してしまおうとする。ソニーが発明したウオークマンやトランジスタラジオはその良き見本であったという。



 この発想は勿論、折り紙に限ったことではない。この本の中では、著者が言及していなかったが、名状し難い複雑な想いをたった三十一文字で表現するという和歌の表現形式もその一つと言えよう。
 ジャンケンはどうであろうか。この発想は「神か悪魔か」、「善か悪か」ときっぱり割り切ってしまわなければ気が済まない欧米的倫理観とはほど遠いものだという。「誰かを悪者にしたてあげなければ納まらない」のが、欧米的発想である。湾岸戦争の時にそれが如実に現れた。イラン・イラク戦争の時アメリカのみかたであったイラクは、対クエートの時になったら、たちまちの内に敵にされてしまったのである。八万八千トンの爆弾(広島の原爆の八倍のエネルギーにあたる)で十二万人のイラク人を殺戮しなければ解決出来なかったのがユダヤ・キリスト教的原理であるという。
 それに対して、「絶対的なものは無い」という宇宙の真理に合致するのが「ジャンケンの理論」であるという。絶対的ではABCの三者には絶対的優位は無い。AはBに優位であってもCに対しては劣位の関係にある。つまり、「ぐう」は「チョキ」に優位であっても「パー」に対しては劣位の関係にある。こうした理論こそ世界を真に融和させることが出来る原理であるというのだ。
 確かに日本には、「喧嘩両成敗」や「泥棒にも三分の理」という諺があるくらいだ。このような日本的発想から和解案が提出されていれば、フセインの言い分も十分聞き届けて、戦争にもっていかない解決策も生まれていたかもしれない。これから「地球共尊共栄体」を形成していかなければならない時に来て、まず、この発想を学ばなければならないとカミンスキー氏は言う。ロバート・B・ライシュ氏の定義に基づけば、カミンスキー氏はまさに、シンボリック・アナリストということになるであろうか。ほんの僅かな文章で綴ったこの著書の中で、ポイントとなる紛争解決原理を十二分に披瀝されている。
 ポーランド人であるカミンスキー氏は、三十数年前、後に大統領に就任したワレサ氏と共に、連帯の改革運動に携わっていた。その改革運動は失敗した為に、共産主義者に国を追われ世界を放浪することとなった。日本に永住するようになってからもう永い。ワレサ氏が大統領に就任してからは、その側近として働いて欲しいとの強い要請があったというが、御本人は日本でのクオリティな生活と国家を超えた「地球共同体」としての仕事に心が向いているようである。
 著書が発刊された当時、銀座で食事をしながら四時間もお話させて、直接伺ったお話しも多い。
 「絶対的なものは無いという宇宙の真理に合致したジャンケンの理論」に対して、湾岸戦争の原因が、「神か悪魔かを割り切ってしまわなければならない欧米的倫理観」にあると説明していたが、実際には、アメリカがイラクに侵攻する為の国民を欺くポーズであって、その背後には、アメリカの石油資本家がイラクでの石油の発掘利権を争奪する口実であったと分析する者もいる。湾岸戦争後、アメリカの石油資本会社の純益は戦争前の十倍に膨れ上がり、現在もそれが継続していると証言する。
(マレック・カミンスキー著・日新報道刊・一二〇〇円)

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