「日本とは何か」(書評集) 宿谷睦夫著 |
F「ザ・ワーク・オブ・ネイションズ」 私は、この本を読んでアメリカの不可解な側面を一部分ではあるが解明することが出来たような思いがしている。もうかれこれ、三十数年前になるであろうか。ロサンゼルスのダウンタウンの近郊にしばらく滞在していた頃のことを思い出す。ウイルシャー通りをサンタ・モニカ海岸に向って、車で一時間行ったビバリーヒルズという郊外にはアメリカの金持ち階級がスラム化したダウンタウンから逃避して、ある一角にコミュニィティーを形成していたのである。日本では考えられない、かかる分離現象の意味を理路整然と解明してくれているのがこの本であった。 著者であるロバート・B・ライシュ氏はハーバード大学の政治経済学者で、リベラル派の論客として知られ、かつてフォード、カーター両政権で政策ブレーンを務め、当時民主党の有力な政策アドバイザーでもあった。この著書「ザ・ワーク・オブ・ネイションズ」は、英語圏の人なら誰でもアダム・スミスの「ザ・ウエルス・オブ・ネイションズ」(国富論)を思い起こすであろうし、本人もアダム・スミスの経済理論を修正するつもりで書いたのではないかと噂されるほど、ニューヨーク・タイムズやニューズ・ウイークを初めとするアメリカの有力新聞・有力雑誌で大々的に取り上げられ、ビジネスマン、知識人、経営者、政策担当局など各方面から大きな反響を呼んでいたのだ。 ライシュ氏は、我々が此迄想定していきた国家という概念、そして、この著書の中で述べようとする国家の役割(ワーク)という概念を根底から覆してしまった。 従来、国家の役割とは白旗を掲げた企業の収益力を増やすことや、国民の世界的な株式所有を拡大させることであり、これまで誰もがそれを疑うことがなかった。しかし、地球経済が拡大し、国境が意味を持たなくなりつつある今日、国家の役割は地球経済に寄与出来るような人材の育成と生活水準の向上を図ることにあるという。しかも生活水準と言っても金や物といった物質的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさをも含んでいるものだ。 この観点から、アメリカの問題とは、地球経済に寄与出来るような多くの価値を付加しているような人々が一部だけであり、殆どの人がそうではないという。しかも、国民の大多数の生活は物質的にも貧しくなり、精神的にも多くの問題を抱えているというのが現状だというのだ。 ライシュ氏は、アメリカの労働者を地球経済の中で果たす機能とその付加価値から見て、大きく三つの職種に分類している。その三つとは@ルーティン生産サービス、A対人サービス、そして、Bシンボル・アナリティック・サービスである。一九九〇年代のアメリカでは、シンボル・アナリティック・サービスに従事する、シンボリック・アナリストは既に、国民の二〇%を占めていたという。このシンボリック・アナリストと呼ばれる人々とは、地球経済に寄与出来るような多くの付加価値を所有する人々のことである。一九九〇年の統計によると、彼等の所得はアメリカの国民所得全体のなんと五〇%を占めていたという。 一九六〇年代、アメリカの中核企業の典型的な現場経営責任者の報酬は約一九万ドルで、平均的な工場労働者の一二倍(税引手取)であったが、一九八八年には二〇二万五千ドルで、平均的な工場労働者の七〇倍にも格差が広がってしまったという。勿論、この現場経営責任者はシンボリック・アナリストに分類される人々である。 しかし、これで驚いていてはいけない。現在、二〇〇九年の統計によれば、彼等のトップ百人の所得がアメリカの国民所得全体の五〇%を占めるようになってしまったという。 一九六〇年代まで、アメリカはまだまだ地理的制約の中にあり、企業経営者はルーティン生産サービス、対人サービスの階層の労働者を無視して生産に従事させるという訳にいかなかった。ユニオンが生まれ、付加価値の少ない労働者にも高額の報酬を払わない訳にいかなかった。しかし、交通・通信の発達によって、地域に依存する必要がなくなると同時に、企業経営者は海外に労働市場を求めていった。 |
GMの社長がブッシュと共に日本にやって来た時、日本の進出で、一万五千人のレイオフを出し、苦境にあるような発表をしたが、この時ヨーロッパには、工場建設計画が同時進行していたことを我々日本人は見落させられていたのである。 ライシュ氏は、アメリカでは国民は確かに疲弊しているが、企業経営者は益々収益を増大させているという。ではなぜ、GMの社長が情け無いようなあの発表を、あえてしたというのだろうか。それは、この類いの演出が政府から補助金等を毟り取る為の巧みなポーズだったのだとライシュ氏は断言する。古臭い観念に囚われている政策担当者、そして、無知な国民には理解するべくも無いのだが、マスコミを通じて、巧みに政策担当者を懐柔するというのが彼等の常套手段なのだという。 かつて、日本の自動車が締め出された時、損をしたのはアメリカの一般国民だったとライシュ氏は証言する。つまり、車の値段が上っただけでなく、賃金は下がり、ある者は失業していったという。 アメリカのこの危機を救う方法は何か。ライシュ氏は「積極的経済ナショナリズム」を提唱している。 しかし、アメリカの現状はルーティン生産サービス、対人サービスの従事者は他を排斥するゼロ・サム・ナショナリズムに傾き、一方、シンボリック・アナリストの多くは家族や友人以外に強い愛情や忠誠心を持たず、同胞の負うべき義務を受け入れない自由放任なコスモポリタン主義に傾いているという。 「積極的経済ナショナリズム」は同胞の才能や能力開発に特別な責任を感じ、同胞の幸福にも、そうでない者の幸福にも等しく貢献し、他国を犠牲にして一国の福祉を推進するのではなく、グローバルな福祉の増進をも計るものだと定義している。この主義を推進する主役は、勿論、シンボリック・アナリスト達である。しかし、ライシュ氏の彼等への期待はあまり芳しくない。 ジョージ・フリードマン著「ザ・カミング・ウオー・ウイズ・ジャパン」でも言及したように、アメリカという樹木から吸い取れるだけのものを吸い取ったその支配中枢の人々というのが、ライシュ氏が分類したシンボリック・アナリストの上層部の人達である。そして、前述したように、彼等のトップ百人の所得はアメリカの国民所得全体の五〇%を占めるようになってしまったのだ。しかも、彼等がライシュ氏の提唱する「積極的経済ナショナリズム」、つまり、同胞の才能や能力開発に特別な責任を感じ、同胞の幸福にも、そうでない者の幸福にも等しく貢献し、グローバルな福祉の増進をも計るだろうか。彼等にとってアメリカが利用価値の無いことが解れば、予言通り、日本に飛来し、金融・経済・政治・学術・文化等あらゆる分野において、日本を世界の中心に伸し上げていく時代を到来させて行こうとしても不思議ではない。そういう彼等を迎えた時、日本人はどれだけ、日本人らしさを身につけ続けていけるだろうか。日本の二〇一〇年代の課題は正に、真の「人づくり」の時代である。 (ロバート・B・ライシュ著・ダイヤモンド社刊・二二〇〇円) |
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著者・宿谷睦夫のプロフィール |
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