「日本とは何か」(書評集) 宿谷睦夫著 |
D「日本の繁栄は、揺るがない」 表題の著者・渡部昇一氏は、英語学の専門家であるだけでなく、あらゆる分野に亘って沢山の著書を世に問われて来た方である。私は先生の著書から多くを学んだ者の一人である。私が感銘を受けた物の中に、「知的生活の方法」(講談社刊)が、先ず第一に上げられる。専門以外に多くのことを学び、これまでに、講演会を企画したり、本の書評を書くなどはその影響の一端である。また、「日本史から見た日本人」(産業能率大学出版局刊)は三十数年前に手にした本であったが、先生が海外で日本文化の説明をしなければならない必要性から、日本のことを研究した結果生まれてきた、先生の最初の「日本人論」となったものである。先生は日本文学、特に和歌にも造詣が深く、万葉集・古今集・新古今集の和歌を各数百首も記憶されており、この著書の中でも、その違いについて簡潔に解説されている。私が冷泉家の門を叩き、新古今調の伝統和歌を詠むようになった端緒もこの著書のお陰であった。 先生は、テレビや新聞や雑誌を通して、常に日本人の身の振り方について、タイムリーで適切な評論を与えて下さる方の一人である。第一次湾岸戦争の時を契機に先生の判断の正しさを如実に知らされたように思う。多くの日本の論調がアメリカへの非難に傾いていた最中、「日本は強い方に見方すべき」と産経新聞の正論で主張された。今にして思えば、あの時既に、先生は時間の軸を立体的に眺めておられたのである。結果はアメリカの勝利に終わり、その後の国際情勢はアメリカの判断の正しさを証明していた。この度の著書「日本の繁栄は、揺るがない」は、その時々に新聞や雑誌で論評されてきたものをPHP研究所が編集したものである。この本は先生が如何に卓越した見解を世に問われてきたかを知る事の出来るものの一つであるが、その幾つかをここで紹介してみたい。 第一次湾岸戦争後の一九九〇年代、世界中から日本に対する非難がある中で、特に米国の日本に対する苛立ちには大変なものがあったように思う。政治家が行ったところに問題があったとは言え、「桜内発言」(ニュ−ズウィ−ク日本版1992年2月6日号で桜内は、アメリカの<識字率>問題を誇張していた)に絡んで、米国の非難は異常とさえ思われた。かかる発言は、最初アメリカの新聞雑誌でとっくに論評されてきたものであったはずなのだ。私もジャパン・タイムズで同じ内容の記事を発見し、何度も引用した経験があるくらいだ。 こんなに言われるなら、日本はアメリカとこれ以上付き合う必要がないとまで言い出す人も出てくるし、そこまでいかなくとも、「日本人は白人社会への盲目的信頼を捨てよ!」(文芸春秋・九一年九月号・松原久子)という人が出てきてもさほど不思議ではかなったのであった。すると、両国民がお互いに嫌悪な関係に発展していくという図式が頭に浮んで来た。「ザ・カミング・ウオー・ウイズ・ジャパン」(フリードマン著・徳間書房刊)に書かれているようなことが実際本当であれば、アメリカの支配中枢が日本との摩擦を故意に煽っているという見方さえ成り立つのである。 アメリカは日本に対してどんな無理難題を言ってくるかわからない。今の内に手を切っておく方がよいと警告する論者も少なくなかった。そんな中にあって、「アングロ・サクソンと仲良く」と唱えたのが先生であった。 「アングロ・サクソンと仲良くしていたら、太平洋戦争もなかった」とも言っておられた。日本が満州を手中に治めた時、アングロ・サクソンからは、「その利潤を共有しよう」との提案があったというのだ。しかし、「日本は日英同盟を破棄して、日本が満州支配の利潤を独り占めしようとしてしまった」という先生の持論をテレビ対談で伺ったことがあった。 |
高度成長期、日本の自動車に恐れを抱いていたのはアメリカだけではなかった。ヨーロッパ諸国は挙って日本の進出に脅威を抱いていた。そんな中にあって、日本からヨーロッパに自動車を輸出するなどは殆ど不可能なのであった。しかし、あるフランスの評論家は、将来日本車はフランスの国内で三〇%のシェアーを占めるだろうと予測していた。これを可能にしてくれる国が実はアメリカとイギリスであると先生は言われていたのである。イギリスはご承知のように日本の自動車産業やエレクトロニクス産業を自国に入れてきていたのである。そして、一九八九年、トヨタまでがイギリスに参入することとなった。イギリスで製造された自動車は、トヨタや日産のものであっても、イギリス製である。EC諸国はイギリスで製の自動車であれば、これを拒む理由がないのである。ふと気付いてみれば、日本にとってイギリスは「トロイの馬」になっていたというのだ。アメリカもしかり、日本叩きであれほど勇名を馳せていたカール・ヒルズ女史も、この日本車をヨーロッパには頼みもしないのに、売り込んでくれていたというのである。口でいくら日本を非難したところで、所詮多くを日本に依存しなければならないところにきているアメリカやイギリスはもはや日本の敵ではなく、これからの本当のよきパートナーであるということなのであろうか。こうなってくると、「日本はこれから、大国としての振舞が、いかにして出来るようになれるか」ということに、その命運がかかっているように思われる。 日本人の多くは、第一次湾岸戦争の時、国際社会に対して何の貢献もしなかったと思い込んでいたと思う。表面的に見ると、確かにそう見えた。しかし、先生はこれにも異を唱えておられた。日本は大変な貢献をしていたと言うのだ。アメリカが使用した先端兵器を考えてみよう。此等の殆どのものには日本の半導体が使用されていたのである。かくまでの勝利に一番貢献したのは日本人の智恵であったということになる。ある人は、「人的な貢献が無かった」という。しかし、先生はそんなことは無いと断言された。第一次湾岸戦争に飛び立って行った飛行機は何処から飛来していったというのであろうか。三沢や横田他、日本のアメリカ軍基地からであったのだ。お金も国民の特別税を取り立てて資金を調達させた。これらの貢献を理路整然と説明してあげればいいというのが、先生の主張であった。これをアメリカの立場から強く主張していた方がおられた。それはマンスフィールド元大使である。当時、テレビのインタビューで、第一次湾岸戦争における日本の貢献を高く評価していた。 このことは、日本の歴史の中でも、その教訓はいくらでもあげられるという。源平の戦いで例えてみよう。表面で戦ったアメリカはさしずめ、義経ということになる。しかし、義経は頼朝の援護があって初めて勝利があったのである。しかし、義経は頼朝の援護を無視して、頼朝の承認も受けずに、京都で位を受けてしまったのである。頼朝が怒るのも無理はなかったのである。しかし、大衆の評価はどうであっただろうか。「判官贔屓」という諺が生まれるほど、俄然義経に評価が高まったのである。「勧進帳」という芝居にまでなって大衆に慕われて来ている。 先生は、一般大衆には判断し得ない冷静な視点から、国際情勢を占い、的確な基準を我々に提供して下さってこられたと私には思われる。 (渡部昇一著・PHP研究所刊・一三〇〇円) |
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著者・宿谷睦夫のプロフィール |
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