「日本とは何か」(書評集)
宿谷睦夫著

C「温故知新と一所懸命」
樋口清之著


C「温故知新と一所懸命」
 
 表記の著書は「梅干と刀」「逆・日本史」等のベスト・セラーの著書を世に問われ、また登呂遺跡の発掘や勾玉の原料・翡翠の原石の発見等により、考古学会に第一人者としての不動の地位を築かれた樋口清之氏の作品である。「梅干と刀」の解説欄で、上智大学名誉教授・渡部昇一氏は、樋口清之氏のことを次のように評されている。
 「先生は、日本人が太古からこの住み良い列島で、緻密な観察と工夫を加えて、オリジナル以上のものを作り上げてきた事を最も雄弁に、親しみやすい例をあげて説かれている。」
 「温故知新と一所懸命」は、此迄の論調を踏襲しながらも、最近の研究が加えられて、平成三年三月に出版されたものである。
 私は此れまでに、著書を読んでそれが自分を感動させるような著者には何人にもお会いしてきたものだ。著名な人であれば、武者小路実篤や芹沢光治朗や梅原猛がいる。樋口氏にも是非会って見たいものだと思って、お願いしたところ、快諾して下さった。
 先生は、旧制中学三年(大正十二年頃)にして既に、弥生時代の米の比較研究論文を考古学の学術誌に投稿されていたそうである。そして、それが巻頭論文として採用された。それが、当時日本を代表する人類学の権威であった鳥居龍蔵先生に高く評価されることとなった。その後、鳥居先生の励ましがあったことによって考古学の道に一生を捧げることになったとのことである。
 先生の研究は緻密であり、実証性を大変重要視されておられた。また、観念的な偏見を極度に排斥し、どんなものからも研究の緒を見出されようとしていた。訪問の際、研究者は研究分野の違いを越えて協力し合わねばならないことを殊に強調されていた。
 先生は、考古学の重要な発見をされる時、万葉集の歌からヒントを得られたと著書のみならず、お話の中でも頻繁にその例歌を引用されていた。トロイの遺跡を発掘したシュリーマンがホーマーの叙事詩からヒントを得たのに大変似ていると思った。勾玉の原料・翡翠の原石を発見された時も、万葉集の歌がヒントになっていたとのことであった。
 先生が、ホツマツタヱを読んでおられたら、先生の考古学の発見も益々増大していったに違いないと思った。著書の中でも、ホツマツタヱと重なる話題を豊富に取り扱っている。酒の語源もその一つである。ホツマツタヱでは笹の葉に漬けて醸したことから「笹の気」の意味の「ササケ」が転じて「サケ(酒)」となったと説かれている。中国では酒のことを「竹葉」というそうである。辞書(岩波国語辞典等)にも「ササ」が酒の読み方として出ている。その他にも先生が著書で取り扱っている「芋(いも)正月」や「雛祭り」「端午の節句」「七夕」「九月九日」等、五節句のこと、医食同源のことなどは、ホツマツタヱの中心的課題であるからだ。
 「縄文時代、日本人は東半分に住んでいた」というのも、ホツマツタヱと関連する事項の一つである。ホツマツタヱでは、宮城県多賀の辺りに、記・紀で述べられている「高天原」があったとあるのだ。
 縄文時代の遺跡が殆ど東日本各地で発見され、それらの規模から考えると縄文時代人の居住は東日本に圧倒的に多数であったと先生は判断されている。記・紀でいう天孫降臨とは、ホツマツタヱでは高天原である宮城県多賀より、現在の大和地方への派遣であったのだ。忍穂耳尊は土地の人に慕われていたので、孫の降臨となった訳である。神武天皇は京都付近で生まれており、東征の話は九州に派遣されていた父親の臨終に立ち会う為に、京都から九州に下り、その後、京都に帰還してきた話なのである。樋口先生も、「京都で、五千年以前の土器が発掘されている」と裏づけして下さった。
 ホツマツタヱでは、天照神(あまてるかみ)が食していたという「苦蓬(ニガヨモギ)」の話題になった時、先生は小さい時から肉が嫌いで、未だに肉を食したことが無いとのことを伺った。また、母親がよく蓬の苦い汁を煎じてくれたとのことであった。先生の生活は、ホツマツタヱに描かれている天照神の生活に極似しており、まさに、本で説かれるだけでなく、医食同源そのものであられた。私が訪問させて頂いた時には、八十三歳であられたが、その時、話しが三時間にも及んだにも拘らず、終始矍鑠(かくしゃく)とされておられた。



 著書の中での先生の話題は、ただ単なる考古学的な事実を解説するということに終止してはいない。常に、現代の課題と関連しているのである。例えば米の問題についても、米の発生からその改良の過程を述べられ、そして、現代の米の自由化の問題にまで及ぶのであった。
 先生は、日本は本当の米の自由化をするべきだと、十数年前から言っておられた。「政府は米の管理から一切手を引き、減反政策を止め、自由に米を作る。外国米の輸入も自由化する。数量を決めて輸入するのではなく、市場を開放するのだ。日本の農民と海外の農民が競争するのである。値段は市場に任せる。結果は日本の消費者が決める。日本の農業が負けるわけがない」というものであった。
 現代の課題との関連では環境問題に及んだ。「温故知新」こそ、問題解決の妙手であるという。自然と共に生きてきた日本人の生き方は「地球に優しい」というのだ。
 「現代の我々は、過去の集積の上に立っているから、過去の集積こそ、今の日本人そのものである。過去に囚われることは間違いだが、過去を無視することはもっと危険である。」というのだ。日本の経済的発展は、明治以来から現在の極く最近まで、欧米先進国の思想や哲学を始め、特に科学技術に依存するところが多かったことは確かである。しかし、先生は「もはや手本は海外にはなく、日本の歴史こそ明日の指針だ」と言われている。
 先生とのお話は、中国漢時代の鏡を説明して頂きながらの「三種の神器」のお話を始め、「武蔵」を書いた時の吉川英治のこと、画家の河合玉堂、中国の革命思想家・胡欄成将軍との親交のこと等、話の尽きることが無かったが、瞬く間に三時間が過ぎ去ってしまった。帰り際に、頂いてきたのが、この近著「温故知新と一所懸命」であった。
 樋口氏が提唱する日本再生のヴィジョンは著書の表題である「温故知新と一所懸命」であるが、極めて抽象的である。私は、二十数年まえから、前章で触れたように、「アメリカという樹木から吸い取れるだけのものを吸い取ったその支配中枢の人々が日本に飛来し、金融・経済・政治・学術・文化等あらゆる分野において、彼らのコントロールの基に日本を世界の中心に伸し上げていく時代が到来して行こうとしている」ということを聞いていた。
 私はそれを聞いた時、日本と自分の将来に恐れ慄いたものである。しかし、「日本人は、日本語という言語を使用し、日本の国土の気を受け、地球の主としての使命を遂行されている天皇陛下の統治下にいる以上、消滅することはない」と主張された角田忠信博士の言葉を伺って以来、日本と自分の将来に対する恐れと慄きから開放され、現在もその心に揺らぎがない。「温故知新とは日本の言語と国土を愛し、陛下を敬う心である」と思う。
(樋口清之著・NTT出版刊・一三四〇円)

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