「日本とは何か」(書評集) 宿谷睦夫著 |
B「日本とは何か」 表題の著者・堺屋太一氏は、当時、テレビにも頻繁に出演されていて、ご自身の言葉で直接に考え方を聴かせて頂いていたこともあって、日頃から私自身尊敬もし、社会的にもその見識が高く評価されていた方であった。 この本は、当時、「日本人論」を取り扱って、多くの識者をお招きし、講演会を企画していた私であったので、発売と同時に私の目にも止まった。 期待に違わず、此迄の識者が指摘してきたものにはないものが数多く見受けられた。しかも、総合的・体系的に論理が展開されていて、抵抗感無しに納得出来る箇所の多い著作であった。 日本が当時、経済大国になることが出来たのは、海外から工業技術を模倣して、資源も購入して製品を作り、それを輸出出来る国(特にアメリカ)があったからであることは間違いない。しかし、著者は、今後日本がどのようになっていくかわからないとしても、もしかして衰退するようなことがあったとしても、この経済大国としての繁栄を築き上げることが出来たということは、その背景に@「日本の風土」とA「歴史的由来」があると、先ず断言されていた。 外国から工業技術を学んだ国は日本だけではない。インドにしても中国にしてもむしろ日本よりも早く、西洋の近代工業技術に接していた。戦後の四十数年は世界は自由経済市場になっていて、条件は平等であった。 それにも拘らず日本がこの経済大国になり得たのは、他国には無い日本固有のものがあったというわけである。 日本は海外から工業技術を学んだだけでなく、教えてくれた師の国を乗り越えることが出来た。しかも、この現代において達成出来たことではなく、大昔からそうであったという。「銅」で巨大な像を造る溶接技術が日本に入って来たのは、和銅年間(七〇八年)であるが、この技術が導入されてから約四〇年後、七四七年には奈良の大仏が着工され、たったの二年間であの巨大な像を完成させた。同じことは「鉄砲」についても言える。入ったのは一五四三年に種子島とされているが、それから約四〇年後、大阪城が着工された一五八三年には日本の鉄砲は量・質共に世界一になっているという具合に、比較し得る約一二〇〇年前からでも、「日本は他から学び且、それを乗り越える能力を備えていた」というものである。 日本が昔から、師に学び師を越え、現在では世界に希に見る発展を遂げたのは、この国の@「風土」、A牧畜と都市国家の経験を欠いた「歴史」、B文化を体系的に考えない「実際主義」、C稲作農業の永い伝統から生まれた「集団主義」、D初等教育を広めるために便利な「型の文化」、そうしたものの全てが影響しているという。著者はそれを「最適工業社会」と名付けている。 しかし、日本が「最適工業社会」を築き得たのは、これだけではないというところに、この著書の真価がある。それは何か。著者はそれを一九四一年(昭和一六年)に確立された政策体系、いわゆる「官僚主導型業界協調体制(官導体制)」にあるとする。官導体制と世界に類を見ないこの国の@「風土」、A「歴史」、B「実際主義」、C「集団主義」、D「型の文化」等が融合して「最適工業社会」を作り出し、豊かな社会を実現させたのだという。しかし、豊かな社会を作り出す筈の最適工業社会は同時に大きな三つの欠点を持っていることも指摘している。つまり、@「国際摩擦」、A「豊かが実感出来ない暮らし」、B「絶え間の無い不祥事」等がそれである。最適工業社会は豊かな社会を実現したかに見えながら、同時に、三つの罪をコインの表裏のように抱え持ってしまったと言うのである。将来、日本が築き上げたこの豊かさを持続し、且併せ持つ欠点を補完していく道は何か。著者は多くを指摘しているが、印象に残った物を幾つか取り上げると次のようになる。 その一つは、「天才的な人材の養成」である。最適工業社会の大きな特色は、規格大量生産にあるが、それを支える要因は全体概念を創造する@天才、かなりの数にA中堅管理者、多数の勤勉なB現場勤労者がいることだという。今迄の日本には、全体概念を創造する天才はいなかったが、それらは外国から流入していた。これからの日本は自らが、かかる人材を養成することである。 |
二つには、「勤勉と倹約から脱出させること」である。日本人の勤勉さは、何も心からの勤勉さではなく、帰属集団からスポイルされることへの恐怖感からであり、その為には、「職場以外に勤勉意識の対象を持つこと」が必要である。倹約から脱出には、「消費を美化する感覚」が不可欠とする。 三つには、日本に有利な国際秩序、つまり、世界平和と自由貿易を維持させる「自主外交」である。 四つには、人工構造の変化に対応すること。つまり、「高齢化社会に対応した美意識の変革」である。 五つには、「日本の独自性を世界に対して正しく説明する」こと。世界は大きく四つの文化圏を互いに認め合っている。日本は欧米の文化圏に帰属されるもののように考えられているところに摩擦が起こるわけであるから、日本を第五の文化圏として世界に認めさせることである。 最後六つには、総合的には「日本的哲学」を生み出すことであると結論づけている。甚だ抽象的ではあるが、私が主張したい論旨と一致するところが多い。 しかし、取り上げた六つの項目の中で納得出来ないものがある。例えば、「日本人を勤勉と倹約から脱出させる」ことという第二項目である。日本人の勤勉さは、堺屋氏が指摘する「帰属集団からスポイルされることへの恐怖感から」勤勉になる人ばかりではない。中村明氏の近著「技癢の民」(西海出版・一五〇〇円)で、中村氏は「日本人は自分以外には誰にも持っていない能力を開花させる為に勤勉になる」と事例を上げて証言している。また、アメリカの著作家・デイ・メンテ氏は「日本化するアリメカ」(中経出版刊)の中で、日本人の特色の一つに、「美的審美感の涵養」を上げ、そして、その行き着くところに、「質素・倹約がある」と結論付けているのである。「質素・倹約」は日本人が最後の最後まで失ってはならない特質であると私には思える。 将来、日本が築き上げたこの豊かさを持続し、且併せ持つ欠点を補完していく道として、六つの項目をあげたが、これまで日本が「最適工業社会」を築き得たのは、一九四一年(昭和一六年)に確立された政策体系、いわゆる「官僚主導型業界協調体制(官導体制)」にあるとしているが、これは温存していく必要性があるのだろうか。それを温存するにはこれまでのままでよいのかが大きな問題になると思う。二〇〇九年八月三十日、麻生内閣は解散を宣言し、衆議院の総選挙が決った。政権交代を叫ぶ民主党は、官僚主導体制を壊さなければならないと選挙公約に掲げて、この選挙に臨んだ。 日本が「最適工業社会」を築き得るまではプラスに働いた制度が、いざそれを達成した暁には、むしろ障害になっていく場合は多々ある。その内の一つが官僚主導体制なのかもしれない。しかし、「官僚主導体制を壊さなければならない」と選挙公約に掲げた民主党は、消費税の引き上げと同時に、この「官僚主導体制を強化する道を選び」国民を裏切り野党に転落していった。 (堺屋太一著・講談社刊・一四〇〇円) |
「日本とは何か」(書評集) 「日本とは何か」(書評集)目次 |
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著者・宿谷睦夫のプロフィール |
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