「日本とは何か」(書評集)
宿谷睦夫著

「編集後記」

「編集後記」
 
 筆者は物心が附くようになってから、今日に至るまでに考えてきたことの中に主だったものが三つあった。一つ目は、「自分は一体何者なのか。そして、最終的に何になるのか」ということであった。二つ目は、「今生の使命は何なのか。そして、それを果たしていくために、自分は何を自分に鍛錬していったらいいのか」ということであった。三つ目は、「その自分が安全に生き永らえていくために、日本という国家がどうしたら永続出来るのだろうか」ということであった。
 一つ目は、様々な宗教遍歴をしていった終局に、奈良毅先生という霊格者に巡り会うことが出来た。そして、その目的を達成することが出来た。
 二つ目は、山本絹子先生という霊格者に巡り会うことが出来た。そして、その端緒を掴むことが出来た。
三つ目は、角田忠信先生という脳生理学者に巡り会うことが出来た。そして、その核心となるものを提示して戴き、安心することが出来た。
本著は、筆者が以上挙げた人生への疑問や目的を達成する為に、試行錯誤してきた過程に踏み込んで行った勉学の軌跡の中から生み出されて来たものの一つを集大成しようとしたものである。筆者は「日本論」並びに、その関連図書の中から精選した二十冊の本の書評をまとめ、表題の「日本とは何か?」だけでなく、「日本はこれからどう進めばいいのか?」「日本人一人一人はこれからどう生きたらいいのか?」という問いに対して、自分自身の答えを見つけようとしてきた二十数年間に亘る一つの試みを述べようとしたものである。そして、自分に役立ったことが、国家の未来、世界の未来を見渡し、それを何とかして行こうという同じ課題に取り組んでいる人々の参考になればと思い、本著を上梓する決意をしたものである。
言論というものは怖いものである。ある一つのことに良かれと思った意見が、人を大きく傷つけてしまうことがあるということだ。日本人には今度の太平洋戦争に対して、これを間違っていたとする所謂「自虐史観」なるものがある。勝者であるアメリカが行った「東京裁判」をそのまま受け入れて「日本人を全面的に悪者である」とする歴史観である。こんな歴史観を受け入れて、ある一戸の家の主が子供や子孫に正しい教育をなしていくことが出来るだろうか。筆者は「自虐史観」批判をブログに掲載したことがあった。そしたら、長年お付き合いしていた韓国人学者から「貴方はそんな考え方をしていたんですか。貴方とはこれからお付き合いしていくわけにはいきません」という電話が入って、交流が途絶えてしまった経験をしたからだ。
 そこで、一言おことわりしておかなければいけないことがある。それは、本書に於ける私自身の考えの中には「他国批判」や「人種批判」を行ったからと言って、それを排斥しなければならないという考えは一切無いということである。ご紹介する著書の中で、それを行う人もご紹介することはあったとしても、批判されるものを排斥しようという考えはない。
一番大きな問題に「ユダヤ批判」があると思う。しかし、私の個人的な立場はむしろ「親ユダヤ」であり、ユダヤと日本は古代から、親密なる友好関係にあったと見ているものの一人である。極く最近の歴史的事件から、ユダヤと日本の協力関係をご紹介したい。
渡部昇一氏は「日露戦争で日本が勝利することによって、白人には勝てないと思っていた有色人種が自信をつけ、太平洋戦争後それぞれ独立していった」という内容のことを著書で述べておられる。しかし、この日露戦争の最大の功労者は誰であったかをことさら強調する人は少ないが、日露戦争に於ける日本の戦費を調達してくれたのは、実はユダヤ人であったのだ。世界は大きく白人、黒人、黄色人、赤色人、緑色人に大別されるという。日本人は差し詰め、黄色人に属する。ユダヤ人と日本人はそれぞれ有能な人種であると思っている。世界が早期に平和を築く上で、ユダヤ人と日本人の相互の@理解とA友好とB協力に依存する所が大きいと思っている次第である。しかし、それを妨げる憶測と疑心暗鬼をもたらす情報も多々飛び交っている。この著書の中でも、図らずもそのデマゴギーをご紹介するやもしれないが、筆者の本旨でないことをご理解戴きたい。
 筆者は最近(二〇〇九年)、ヘブライ大学名誉教授・ベン・アミー・シロニー氏の次のような内容の講演録「世界平和になすべきこと」を読んで、ユダヤ人と日本人の@協力とA相互理解の必要性を強く感じた。
「ユダヤ人と日本人は二つの偽造文書で苦しめられました。ユダヤ人に対しては『プロトコール』であり、日本人に対しては『田中メモランダム』であります。『プロトコール』はユダヤ人排斥主義の偽造文書で、ユダヤ人リーダーが世界中から集まり、世界支配のための極秘の計画を練っている、と言った内容でした。この文書は元々十九世紀の終わりにフランスで作成されたもので、それが二十世紀の初めに、帝政ロシアの秘密警察によって承認発表されて広く知られるようになったものです。1930年代からナチスドイツは、ユダヤ人排斥のためにこの文書をしばしば使用しました。・・・今でもこの文書は反ユダヤ人主義の作家などによってよく使われています。」
 筆者は1980年代頃、反ユダヤ主義の日本人作家の手によるものから、この情報を入手していた。
 その頃は、そのデマゴギーに躍らされて将来の日本の永続に不安を覚えたものである。しかし、前述の脳生理学者・角田忠信博士の日本人の定義を伺って安心することが出来た。そして、第二の自分の疑問とする今生での自分の使命を達成する為に、自分を鍛錬することに集中することが出来た。又、日本論を研究していく中で、それを説く先生方に叱咤激励されてきたことをここに特記しておきたい。
二〇〇八年、アメリカから発せられた世界同時不況の真っ只中にあって、クラィスラーに続いて世界最大の自動車会社・GMの倒産の発表を聞いて、「世界はどうなっていくんだろうか?」と考えない人はいなかっただろう。
この時期に至って、この編集後記では、この二十数年来心に温めてきた「世界の未来像、日本の未来像」を多くの人に問い掛けてみようと決意した次第である。
渡部昇一氏は、筆者と同じように未来像を探り当るにあたり、「数百年の歴史を虹を眺めるようにして、眺めて見た」と語っていた。そして、得られた結論は「日本の繁栄は少なく見積もっても今後、二百五十年は続く」と著書「かくて歴史は始る」の中で結論づけた。
更に、渡部氏は、同著の中で、執筆当時は「世界はグローバル化していく」と見ていたようだ。一方、冷戦時代の戦略理論家で、ハーバードのジョン・オリン戦略研究所の所長であるサミュエル・ハンチントン氏は、著書「文明の衝突」の中で、「世界はブロック化していく」と説いていた。そして、彼の予告とは、「西洋文明」と「イスラム・儒教コネクション」とはやがて必ず衝突するだろうというものだった。9・11事件はまさにハンチントン氏の予告したとおりの兆候の始まりとなった。筆者は、残念ながらハンチントン氏の予告に軍配を上げたい。
つまり、「二〇五〇年頃までに世界はブロック化していき、そのブロック同士が熾烈な戦いを続けていく」と予測する。世界が数個のブロックを形成するまでの、二〇五〇年頃までは、小競り合いの武力闘争はあったとしても、経済圏を獲得し合う経済戦争に終わるだろう。
「『西洋文明』と『イスラム・儒教コネクション』とはやがて必ず衝突する」というハンチントン氏の予告は、「9・11事件」によって、証明され、アメリカのアフガニスタンやイラクへの侵攻によって火蓋を切ったわけである。今や、二十数万の兵士が両国に駐留し、戦死した兵士はイラクだけでも二〇〇八年迄に数千人を越えたという。表向きは、アメリカ人にとって絶対なる信条である「民主主義の世界への普及」であったが、裏の実態は、アフガニスタンやイラクに於けるアメリカの一部の石油資本の独占であると消息筋は伝えている。
それは、彼等の現在(二〇〇八年時点)の純益がアメリカのアフガニスタンやイラクへの侵攻以前の十倍に達していることをもって筆者に提示してくれた。
ハンチントン氏は、「近未来の世界は次のような八つの文明の時代を迎えるだろうと予想している。すなわち、西洋文明(欧米)、儒教文明(中華文明)、日本文明、イスラム文明、ヒンドゥ文明、スラブ文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明の八つである」という。
識者によれば、この「文明の衝突」は二一〇〇年にはピークに達し、世界人口の三分の一の人々が戦死し、日本でも十分の一の人々が戦死していくと予言している。
このような予言・予告を提示して、読者を恐怖のどん底に陥れようとするものではない。この二十数年に渡るアメリカの横暴はそれに拍車をかけてきた。日本でも、小泉氏が首相になって、「構造改革」とか「規制緩和」という美名の基に、「強者と弱者を同じ土俵で戦わせる構造」を作り上げてしまった。貧富の格差を益々作りあげるようにしてしまったのだ。しかし、起こってしまったことを何時まで悔やんでいても仕方が無い。
筆者は、このような不安と恐怖を駆り立てる話を聞かされて四十数年を過ごして来たが、その中でも、これまでに、賢者の教えに接し、心の安心を掴むに至った。
先ず第一は、前述の「日本人の脳」の著者・角田忠信博士の「日本語と日本という土地と天皇の支配下にある限り日本人が滅びることはない」という言葉だった。
最近、松岡正剛氏のブログを開いたら、若手のKという将来を嘱望されている自民党の政治家も、「日本に必要なのは天皇制日本語で、それを守るための施策をしなければいけない」と発言をしているのを知った。
このような人々が連携し、持てるものを出し合っていけば、日本人のみならず、世界の人々が私が掴んだと同じような「心の安心を掴む」ことが出来るのでないかと思い、本著の上梓を決意した次第である。
「心の安心を掴む」ことが出来た第一は、前述の「日本語と日本という土地と天皇の支配下にある限り日本人が滅びることはない」という言葉であったが、自分の私生活の中で、「私に勇気と活気を与えてくれた言葉」の第一は、アメリカ人の畏友・ボイエ・デイ・メンテ氏が著書「日本化するアリメカ」の中で語ってくれた「美的審美感の涵養である」という日本文化の特質とその世界性を語ってくれた言葉であった。千年以上に亘って、日本人は美を観賞することを日常生活の一環としてきた。日本人は日本人であるために、美というものを学び、習慣づけてきた。日本人にとって美のモデルと基準というものは、自然あるいは自然を示唆するものに限る。そして、その行き着くところに、質素・倹約がある。日本人が何かを美しいと誉める時は、それを生み出した技や技術ではなく、その物の「魂」を賞賛している。
美を観賞し味わう技量というのは、一度学んだからそれで済むというものではなく、審美眼を養い、維持して行くための習慣や儀式を早くから発達させてきた。たとえば、美の鑑賞会(月見、花見、梅見等)や茶会等を開催してきた。
これらの催しは、美を観賞することや共にいることを分かち合い、家族や友人達と交流するのに素晴らしい習慣であり、また教養を磨く絶好のチャンスでもある。そして、この中で、「詩歌を作ることが出来れば知的内容を盛り込むことになる」という。「詩歌は最高の知性と美的表現の結集されたもの」であって、「個人の教養がいかに磨かれているかを量るものでもある」と解説してくれていた。中でも、「詩歌は最高の知性と美的表現の結集されたもの」と讃えて下さっていることに、私の詩歌への創作意欲は倍増していった。そして、秀歌の創作は「個人の教養がいかに磨かれているかを量るものでもある」と断言していることであった。もともと、和歌の創作は、「禊」が体を清めるのにたいして、魂を若返らせるものであった。その為、「敷島の道」とも呼ばれた。そして、作られた和歌は本来「若歌(わかうた)」と呼ばれてきたのだ。和歌の創作の情熱に、勇気と情熱を傾けさせてくれたのは、日本の古代の生き方を分析し、解説してくれた畏友のアメリカ人であった。
私生活の中で、「私に勇気と活気を与えてくれた言葉」の第二は、著者・ジョージ・R・パッカード氏が著書「ウエイクアップ・ジャパン」の中で、日本文化の特色の第二に取り上げた「老い」を尊ぶ美学であった。日々の研鑚により達人でも生涯を通じて上達し続けるものであり、芸術的に均整のとれた完璧な書を描くよりも、年齢によって円熟した人格と智恵が書の中に体現される事を重んじる「書道(書という芸術様式)」を嗜む書家から学んだという。そして、「歳を取ることは災いだと決め付ける必要はなく、人生の最後の仕上げに向けて毎日努力を怠らなければ、人は老年になってこそ、人として円熟し、智恵を備え、人生の不思議を理解する深い満足感を味わうことが出来る」というものであった。
まだ筆者が若さに溢れていた時の十数年前に、この書評を書いていた時には、これを「日本人の敬老の精神」を敬ってくれているのだと考えていただけだった。しかし、還暦も過ぎ、職場の定年を迎えた今、改めて読み返してみると、この言葉ほど有難さのこみ上げてくる言葉はなかった。
筆者は、伝統和歌を嗜むようになって三十数年が過ぎようとしている。最初、歌を詠むのに、「一年に一首を作る」のがやっとであった。それが十年も続いた。その後、歌の師範家・京都の冷泉家の門を叩いて、伝統和歌の作歌法「古今伝授」を基に、歌の修練を積んで、即興和歌、長歌、折句へと歌のレパートリーを広げていった。そして、この日本の文化の一つである和歌を徹底的に修練・訓練することにより、日本語では、例えそれが人の名前を折り込む「折句」であっても、最短で十五秒、英語でも一分も掛らずに詠み上げることが出来るようになった。それをもって、英国詩人・ジェイムズ・カーカップ氏からは「短歌学者」「シュレジンガーのような即興詩人」「世界文学に新分野を開拓した創始者」とまで評され、アメリカの著作家・ボイエ・デイ・メンテ氏からは、自身の著作「武士道」の中で、「東洋一の即興詩人」とまで評されるまでになった。
筆者にかかる恩恵を与えてくれた人は、このパッカード氏だけに限らない。「私に勇気と活気を与えてくれた言葉」の第三は「拝啓ニッポン殿」の著者・ピーダーセン氏であった。彼は著書の巻頭で、「日本人は今、世界から注目されているが、世界に何らかの形で貢献したいのであれば、先ずは、自分の国を奥底まで、知る必要がある。・・・@『自分と自国の文化を探ること』、A『自分のルーツを知ること』、B『自分のアイデンティティをしっかり持つこと』、それによって初めて『国際人』になれる。」と語っていた。昔の日本人は、少なくとも戦前までは、良し悪しは別として、「鍛錬」とか「訓練」という習慣が日常の中にあった。しかし、「日本人らしさ」の、「鍛錬」や「訓練」が今、どれほど残っているだろうか。筆者は日本文化の一つとして、短歌に執心している者の一人であるが、短歌一つをとって見ても、「古来からの伝統に従って歌を詠むこと」が出来る歌人は極少数である。そこで、筆者は、作歌法「古今伝授」に基づく伝統和歌を、戦前までの日本人のように、徹底して「鍛錬」し「訓練」しようと心に誓ったのである。
その結果、平成十年には英国詩人・ジェイムズ・カーカップ氏との歌の文通を綴った独吟連歌集「アンドラへの歌便り(日英対訳)」の出版、宮中歌会始への陪席、平成十二年からはバイリンガル月刊雑誌「プラザ」での「英文短歌講座(日英対訳)」の連載、平成十六年からは毎日ウイークリーでの「Japanese Poetry in English(日英対訳)」の連載、平成十八年には「百人一首英文折句集(英文)」のアメリカでの出版と続き、現在では、「伝統和歌の入門書(日英対訳)」「百人一首連歌折句集(日英対訳)」「二百人一首短歌折句集(日英対訳)」といった、これから、日本人が誇りある『国際人』として、海外の教養溢れる教養人と対等な付き合いの出来る素養を身につけるテキストの原稿を完成するに至ったのである。
しかし、それだけではない。「戦後政治にゆれた憲法9条」(中央経済社)に続き、「象徴天皇制は誰がつくったか」の二冊の本を書き上げた後、著者・中村明氏は「技癢の民」(西海出版刊・一五〇〇円)を出版し、その著書の中で、「自分以外には誰にも持っていない能力を開花させる為に勤勉に努力しそれを達成させることの出来るのが日本人である」と定義し、その代表者の一人として、筆者を次のように紹介している。
 


「千葉日本大学第一高等学校の英語教師である宿谷睦夫氏に会って、私は古今和歌集を編纂した紀貫之や新古今和歌集を編纂した藤原定家という人物がどんな人物であったかを連想させてくれた。この二人は情緒の世界を歌で詠み表す、優れた歌人であるばかりでなく、そのメカニズムを論理的に解説することが出来た短歌学者でもあったからだ。宿谷氏もまさに、伝統和歌の世界観に寸分も違わない情緒溢れる歌をたちどころに詠み上げてしまうばかりでなく、理路整然と伝統和歌の理論体系を説明することの出来る人だ。現代ヨーロッパ随一の詩人と仰がれている英国詩人ジェイムズ・カーカップ氏もザルツブルグ大学出版部で出版した著書「短歌の本」の中で、宿谷氏をこうした視点から褒め称えている。」
筆者にかかる恩恵を与えてくれた人は、これまでの三氏の他に忘れてならない方がおられる。「私に勇気と活気を与えてくれた言葉」の第四は「日本史から見た日本人」(産業能率大学出版局刊)の著者・渡部昇一氏である。これは三十数年前に手にした本であったが、先生が海外で日本文化の説明をしなければならない必要性から、日本のことを研究した結果生まれてきた、先生の最初の「日本人論」となったものである。先生は日本文学、特に和歌にも造詣が深く、万葉集・古今集・新古今集の和歌を各数百首も記憶されており、この著書の中でも、その違いについて簡潔に解説されていた。私が冷泉家の門を叩き、新古今調の伝統和歌を詠むようになった端緒もこの著書のお陰であったのだ。
筆者が混迷する世界の中で安心して生きられる信念を与えて下さった角田博士、尚且つ、筆者に勇気と活気を与えてくれた言葉を示して下さった四氏(ボイエ・デイ・メンテ氏・パッカード氏・ピーダーセン氏・渡部昇一氏)を紹介させて戴いたが、「温故知新」という諺「古きを訪ねて、新しきを知る」という試みの一つとして、内外の「日本並びに日本人論」を紐解いた効果が如何に素晴らしいか筆者自らが体感したものだが、それを多くの人にも体験して戴きたいというのが、本著の狙いである。
そこで、これまで取り上げてきた「日本並びに日本人論」から、それぞれの著者が強調している「日本の特色」「日本人の特色」「日本文化の特色」を列挙してみたい。その中に、読者に共感を覚えて戴けるものが探し出せるのであれば、それに越した幸いはないからである。
「日本」「日本人」「日本文化」の特徴をランダムに列挙していく。出展を随時提示しないが、本文で各著者が提示したものをここではまとめて述べたものである。
第一は、「ユダヤ・キリスト教的倫理観では、人はまったくの友人か、まったくの敵かいずれかになるのだ。同時に友人でもあり、敵でもある、ということはありえない。しかし、日本人の心情では、これはまったく矛盾ではありえない。長期的にみて大きな紛争など生じない国の手本である。日本にとっては、ある次元では抱き合い、別の次元では戦うことはごくあたり前のことなのである」というものだ。アメリカで誰もが「クエートに侵入したサダム・フセインは悪の権化だ」と判断するのが常識だと思っていたものが、日本では、小学生ですら、「フセインもブッシュもどっちも悪い」と判断しているのを知って、アメリカ人の目からは大変な驚きだったという。日本人には「喧嘩両成敗」という言葉がある。江戸時代には「仇討認可」を出したり、「切腹」させたりとか、他者や支配者が善悪を判断することを控えたものだ。これは日本人が他者の対立に介入して、恨みや祟りを避けようとする心理なのかもしれない。其処には「日本人の嫉妬深さと執念深さ」が背景にある一方、「自分と関係ないことであれば、それが例え同胞(同じ日本人同士)であっても嫉妬も執念もない」という両面があるのだと思う。アメリカから原爆を落とされてモルモット同然に扱われたアメリカを、原爆の悲惨を経験していない日本人の多くは、いとも簡単に、尊敬や崇拝の対象にして来た現実があるのだ。薩英戦争も良い例である。英国に完敗したはずの薩摩藩は、自分を負かしてしまったその強さを恨むどころか、イギリスの偉大さに感服して、それを学ぼうとし、イギリス留学生の派遣を実現させたのだ。その結果、藩の地位を高めることとなった。黄氏が指摘する「二者択一」のアメリカ人や中国人、「過去に拘る」韓国人には考えられない発想なのかもしれない。
以上の発想を一方では、「日本人は『絶対的なものは無いという宇宙の真理に合致したジャンケンの理論』を持ち、世界を融和させる力があるという。日本人には全てのものを善か悪かで割り切るのではなく、A、B、Cがお互いに依存関係にあるし、何方も悪、つまり、『あいこ』という概念が存在する」と説いている。前述したように、「アメリカで誰もが『クエートに侵入したサダム・フセインは悪の権化だ』と判断するのが常識だと思ったものが、日本では、小学生ですら、『フセインもブッシュもどっちも悪い』と判断しているのを知って、アメリカ人の目からは大変な驚きだった」というが、つまりは、日本人には『あいこ』という概念になるのだ。
 日本文化の特質の第二は、「日本人は約一二〇〇年前から、他から学び且、それを乗り越える能力を備えていた」というものだ。これも、言い換えてみれば、「日本人は興味深い、才能に恵まれた国民であり、アメリカ人がそうであるように、実に多様で、変化に対応出来る国民である」という表現で表されるものと、「日本人の優秀性は、@自信とAイメージ力、そして、神話から来る日本人のB労働観にある」というものではなかろうか。提案者は、「日本人の培ってきたこの文化はいずれ世界の模範となり、日本は世界の師となっていくであろう」と予言しているのである。更に続く、「日本文明こそ開かれた文明であり、「総合的」で、「融和性が強く」、「排他的ではなく」、「日本ほど積極的に外来文化を取り入れ、それを逸早く吸収した」類例を見ない。その上、日本人はいくらつまらない事でも、一つの「道」として磨き上げる民族性を持っている。「『日本文明』は今日の地球時代という背景の下で、西洋技術文明の完成者として開花した」というのだ。
更に、「日本人は強い愛国心を抱いているように見えるが、それは、『純日本的な古いものを守ろうとする』だけのものだけではなく、『外国からの優勢なものを自分自身及び母国の為に有益に生かし、日本の発展に努めている』」というものだ。
更に、「日本人には『祖国』と『日本人である自分自身』と『その業績』に高い誇りを持っている。日本人は、『親切』で『自分本位でないこと』に誇りをいだき、『自分自身と国家の面目を保つことで、自らの刺激としている』という。又、勤労を売り物としない日本人の『労働観』である。西洋文化は、『知識』が物事の根源を指しているのに対して、日本文化は、『心』、つまり、『人間のフィーリング』が、あらゆることに優先しているという考えだ。(この傾向を科学的に解き明かした脳生理学者がいる。それは「日本人の脳」の著者・角田忠信博士だ。彼の理論によると、六才から九才までに日本語とポリネシア語の言語環境に育った人は、人種に関係なく、意味のある言葉は脳幹のスイッチ機能が左脳で処理させるが、意味の無い母音や虫の音や小川のせせらぎの音も脳幹のスイッチ機能が言語を担当する左脳で処理させるというのだ。逆に、日本語とポリネシア語以外の言語(インド・ヨーロッパ語族、中国語・韓国語も含む)の言語環境で六才から九才までに育った人は、人種に関係なく、意味のある言葉は、当然日本語と同様に脳幹のスイッチ機能が左脳で処理させるが、意味の無い母音や虫の音や小川のせせらぎの音は脳幹のスイッチ機能が、情緒を司る右脳で処理させるというのだ。そこで、日本語とポリネシア語の言語環境に育った人は、脳幹のスイッチ機能が言語・理性を司る情報も、情緒を処理するべき情報も左脳に送られるので、善か悪とか、理性か感性とかのどちらかに仕分けることが出来なくなるのだという。日本語とポリネシア語の言語環境意外で育った人は、脳幹自体のスイッチ機能が、理性と情緒を分別して処理し、それぞれを司る脳に送ってくれるので、善と悪、理性と感性を正確に処理するようになるのだという)
だから、日本では対立や摩擦が少なく、すべてが平和と調和に繋がるという。さらに、『賃金』は『労働の代償』ではなく、『従業員の生活を保証するもの』という考え等があるという。このような考えが総合されて、外国人の目からは、日本文化の特質の第二が、「日本人は約一二〇〇年前から、他から学び且、それを乗り越える能力を備えていた」という結論になったのではなかろうか。
筆者は、畏友・ボイエ・デイ・メンテ著「日本化するアリメカ」(中経出版刊)の中で、「日本人は昔から新しいものが外国から入って来ても、余りびっくりしなかったと言われている。近くはコンピュータなど、アメリカから入って来たばかりの時には、アップル・コンピュータで日本は埋め尽くされるかとさえ思われた時があった。しかし、数年もしないうちに国産の優秀なコンピュータがそれに取って代わった。百年前、黒船が入って来た時も、忽ちのうちにその背後にある西洋的産業技術を自分のものにしてしまった。そして、四〇〇年前、鉄砲が入って来た時も、五〇年足らずの間に、質量共に世界最大の鉄砲生産国になってしまった。おそらく、農耕稲作文化もそうであったに違いない。海外から輸入された農耕稲作文化を短期間に消化し、日本全土に普及させたものと思われる。今も、多くの人に思い込まれているものに、狩猟採集生活をしていた縄文人の後に、農耕稲作文化をもった弥生人がやってきて日本を征服したという考えがあるが、「ホツマツタヱ」という古記によれば、狩猟採集生活をしていた原日本人が農耕稲作文化を海外から輸入し短時間に消化したのであって、日本は弥生人によって征服されたのではないとある。そして、日高見(宮城県)地方を支配していた豊受神がそれに一番成功し、その後天照神の孫・瓊瓊杵尊を派遣して農耕稲作文化を全国に定着させたというのが真相のようなのだ。それを、見ると、外国人からの目からは、日本文化の特質の第二として、「日本人は約一二〇〇年前から、他から学び且、それを乗り越える能力を備えていた」とあるが、「日本人は有史以前から他から学び且、それを乗り越える能力を備えていた」と書き換えなければならないかもしれない。
それを成し遂げたのは、「@自信Aイメージ力B勤労を売り物としない労働観労働観C排他的でなく、融和性Dいくらつまらない事で、一つの「道」として磨き上げる民族性E物事の根源を『心』『人間のフィーリング』『魂』と見る」といった日本人の特性にあると言えよう。
 日本文化の特質の第三は、「簡素と倹約の美学」をあげることができよう。折り紙遊びで育った日本人は、どんなものでも(それが例え無限の空間を必要とするものであっても)限られた空間の中で用を足してしまおうとする。ソニーが発明したウオークマンやトランジスタラジオはその良き見本であったという。
日本文化の特質の第四は、「自制」を尊ぶ慎みの心である。日本の偉大な陶器家、或いは、その他の分野で名も知られずに、優れた業績を残している人々は、集団の中に身を没したまま、個人として賞賛され、金銭的に報いを受ける事を慎む。西洋社会なら当然に与えられるものを日本人は避けるのである。日本はこのことを世界に教示すべきだという。この地球で将来の人類の生存を確保し、又、アドルフ・ヒットラーやサダム・フセインのような誇大妄想に駆られた独裁者の新たな台頭を防止しようとするなら、西洋人は、個人の欲望、利己主義、そして、権力欲を制御し、又、それらの衝動を人類全体に貢献する行動にと昇華する術を学ぶ必要があるという教訓であったという。
 日本文化の特質の第五は、日本人の価値観が「和」にあるという。日本人はあらゆる人間関係において、見事なまでに調和を保とうとしているという。秩序に重点を置き、権威を尊重する。日本人の「和の原理」は、経済的、社会的、宗教的、哲学的である。
日本文化の特質の第六は、「甘えの原理は高度にして洗練された概念で、日本文化の根底をなしている」と褒め称えている。「甘え」とは無欲な愛、無欲の信頼、無欲な依存であり、まず母親に対して向けられ、それから家族、社会へと拡がっていく。
日本文化の特質の第七は、正直を掲げている。道徳とは、教えなければならないものであると同時に、それに従って実際に生活していかなければならない性質のものだが、日本人はこの狭小空間の中で、長い年月をかけて培ってきた。
日本文化の特質の第八は、美的審美感の涵養である。千年以上に亘って、日本人は美を観賞することを日常生活の一環としてきた。日本人は日本人であるために、美というものを学び、習慣づけてきた。日本人にとって美のモデルと基準というものは、自然あるいは自然を示唆するものに限る。そして、その行き着くところに、質素・倹約がある。日本人が何かを美しいと誉める時は、それを生み出した技や技術ではなく、その物の「魂」を賞賛している。
美を観賞し味わう技量というのは、一度学んだからそれで済むというのではなく、審美眼を養い、維持して行くための習慣や儀式を早くから発達させてきた。たとえば、美の鑑賞会(月見、花見、梅見等)や茶会等を開催してきた。
これらの催しは、美を観賞することや共にいることを分かち合い、家族や友人達と交流するのに素晴らしい習慣であり、また教養を磨く絶好のチャンスでもある。そして、この中で、「詩歌を作ることが出来れば知的内容を盛り込むことになる」という。「詩歌は最高の知性と美的表現の結集されたもの」であって、「個人の教養がいかに磨かれているかを量るものでもある」と言う。
以上、重複したり、説明が不十分なものもあったが、「日本」「日本人」「日本文化」の特徴をランダムに列挙してみた。以上の特徴を自分に照らし合わせてみて、読者の中で、少しでも、自己鍛錬の糧として下さる方がいたとすれば、筆者にとってそれに優る喜びはない。
(平成26年[2014]1月7日)

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