「日本とは何か」(書評集)
宿谷睦夫著

A「ザ・カミング・ウオー・ウイズ・ジャパン」
ジョージ・フリードマン著


A「ザ・カミング・ウオー・ウイズ・ジャパン」

 私はこの種の本をこの二十年間に色々と読んで来た。「共産主義ソ連は日本の本当の敵では無く、むしろ友好関係にあるアメリカこそが本当の敵である」という内容のものである。私は本著を見るまでの二十年間、友達との対話の中で話題になる度に話して来たが、東西冷戦の終結する直前まで、これは一笑に伏されてきた内容であった。だから、今更という感じで、発刊当時は読む気にもならなかったのである。
 この本は、アメリカの本音が如実に、しかも、形振りかまわずに、しかも、苛立ちをもって曝け出されたものだと思われる。そして、ホルスタイン氏が指摘しているように、この本の著者も典型的な欧米思考法の持ち主であるように思われる。ホルスタイン氏の指摘をもう一度繰り返してみよう。
 「ユダヤ・キリスト教的倫理観では、人はまったくの友人か、まったくの敵かいずれかなのだ。同時に友人でもあり、敵でもある、ということはありえない。
 この類の本は、専らアメリカの支配中枢の陰謀説として語られてきたものであり、しかも敵意と怨念さえ感じられる感情的論理のものが多かったこともあって、一般的評価を得ることが出来なかったものである。しかし、この本に限っては、他と大きく異なっている。しかも、著者はアメリカに敵対感情をもっているわけではなく、また日本に対しても敵対感情をもっているわけでもない。
 更に、冷静に、しかも理路整然と論旨が展開されていて知識層の人々にも説得力を持っている。
 アフリカとは違って、アメリカにやってきた西洋人は土着の善良なるインディアンを皆殺しにしてアメリカ大陸を手中に治めた。これと同様に、ペリー来航の以来の対日政策というものは日本民族の解体であり、その本命は中国進出にあったという。アメリカはこの本音をあからさまに遂行することは出来ない。第一に国際世論が許さないし、アメリカ国民にさえ認められるものではない。
 普通の人間では考えられない長い年月をかけて日本民族の解体を果たそうとした。それが太平洋戦争である。ここでその息の根を止めようと図ったが、思ってもみない敵が出現してしまった。つまり共産主義ソ連である。新たに出現したソ連に立ち向かう為に、息の根までを止めようと考えていた日本ではあるが、この大敵を駆逐するまでは恰も仲間であるというポーズをとって対ソ戦略に備えなければならなかったのである。しかし、大敵と錯覚してきた共産主義ソ連は脆くも一戦も交えずに内部から崩壊していった。
 そこで、いよいよ本命である日本民族の解体に取り掛かろうというのが、この本の本旨であろうか。
 アメリカと日本の対立は、イスラエルとアラブの対立のように、敵意と怨念の対立では勿論ない。国民はお互いに、善意に満ち、友好関係を保ちたいという心からの気持ちがあるにも拘らず対立していくというものである。
 一般に、アメリカでは、「日本がダンピングをして市場の独占を計ろうとしている」という報道が入って来るのであるが、著者の見解は違っていた。「日本にはその意思は無く、ダンピングが策略によって行われるのではなく、企業は『儲け』よりも『成長』を目的として見ている」
 日本にとって好意的とも見られる見解を持っていながら、日本とアメリカは宿命的に対立し、第二次太平洋戦争を避けることが出来なかったというのである。
 アメリカは日本に国内市場を荒らされているにも拘らず文句も言えなかったのは、大敵ソ連を控えていたからだという。ソ連の脅威がなくなった今、アメリカが今まで払ってきた日本に対するつけを十分に支払ってもらいますよというものである。それに答えないようであれば、政治的・軍事的処置をこうじるというのである。かかるアメリカの脅しに対して反発出来る状況に日本は無いとしている。

 


 その第一は、輸出をアメリカに依存しているが、輸入はアメリカ以外の国に依存していること。
 第二に、アメリカが資源を自国でかなりの部分を賄えるのに対して、日本は資源のほとんどを海外に依存しているというのである。この状況は何を意味しているかというと、世界の海を手中に治めたアメリカの言い分を聞かずに日本は生存出来ないというものである。

 アメリカは最終的に、日本をアメリカ市場から締め出していくということだ。その時日本は皮肉にも嘗ての「大東亜共栄圏」の国々と交易に向かわざるを得ないという。
 アメリカは日本をアメリカ市場から締め出すだけでなく、交易の活路が嘗ての「大東亜共栄圏」の国々であるにも拘らず、その交易でさえ、アメリカに対する敵対行為となるというものである。日本は、太平洋戦争の前の時の状況と同じように、袋小路に追い込まれ第三次の太平洋戦争へと進んで行くという論理である。
 「歴史工学」の名称まで生まれた馬野周二氏の理論も、これと大変よく似ている。馬野周二氏は常に、「二十一世紀は、国際化ではなくブロック化である」と唱えて久しい。アメリカに投資した日本の財産は決して帰ってこないことも語っておられた。ジョージ・フリードマン氏はアメリカ人の立場ではっきりと、このことを証言しているのである。
 アメリカと日本は本当にこのようになっていくのであろうか。フリードマンの理論の中には欠落している大きなファクターが幾つかある。「ノーマルと定義している内容が本当に国際世論に受け入れられるのか」等がそれである。さらに、「これから先、日米が友好を保っていく中で、どんなに思い掛けない要素が出てくるかが、計算されていない」というところである。米ソ対立の終焉や東西ドイツの統一といった事態を予測した人はいなかったと同様、宿命的な利害の対立にある日米もホルスタイン氏が指摘するように、「対立と友好の共存」という日本的な発想の基に和解の道を模索することは十分にあり得るように思う。
 サブプライ問題をきっかけに、金融崩壊を起こし、世界同時不況を引き起こしたアメリカをその支配中枢の人々を宿木に例える人がいる。宿木は花を咲かせると、その胞子はプロペラを付けていて、次に寄生する樹木へと飛んで行くというのである。アメリカという樹木からは吸い取れるだけのものを吸い取ったその宿木の胞子は、二〇一〇年を前後して、日本という樹木に寄生すべく、飛んで来るというのだ。
 彼らの持っている資本が日本に投資された時、日本は再び一九七〇年台から繁栄した時代を迎えるという。
 日本の一九七〇年台は所得倍増論を唱えて登場してきた総理大臣・池田隼人により、日本は就職難から求人難への時代を向え高度経済成長を遂げ、世界第二位の経済大国へと伸し上がっていった。
 日本は今再び、アメリカという樹木から吸い取れるだけのものを吸い取ったその支配中枢の人々が日本に飛来し、金融・経済・政治・学術・文化等あらゆる分野において、世界の中心に伸し上げていく時代が到来して行こうとしているという。その時、日本人はどれだけ、日本人らしさを身につけ続けていけるだろうか。日本人の自覚と覚醒が一番求められる時代に入ったと言えよう。
(小室直樹監修・徳間書房刊・二〇〇〇円)

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