「日本とは何か」(書評集)
宿谷睦夫著

R「日本化するアリメカ」
ボイエ・デイ・メンテ著


R「日本化するアリメカ」

 表記の著者・デイ・メンテ氏のことは、比較文学者・入江隆則著「グローバル・ヘレニズムの出現」(日本教文社)の中で知るようになった。この本の主目的は、アメリカ人、とりわけ政財界の指導者が日本から何を学ぶべきか訴えたものである。日本人あるいはアジア人から、かかる日本賛美の見解が提示されることはあまり不思議とも思われないが、欧米人からこのようなことが提案されていることに、筆者も最初耳を疑ったものである。
デイ・メンテ氏は当時(平成3年)までの四〇年間、一年の内の半分は日本に滞在しておられた。流暢な日本語を駆使されるだけでなく、日本人になりきった生活体験も豊富だ。それだけに、日本の良さを十分に理解していることが読み取れた。しかし、それだけではない。彼は日本文化の良さを本国のアメリカに勧めるというところまでいっていたのだ。彼はこの著書の序文で、次のように述べている。
「本書の意図は、次の事項に関してアメリカ人を督励することにある。それは、@日本について広い心を持つこと、A新しい考え方や解釈に対する理解力を持つこと、B日米関係の見方を広げること、C日本に対してもっと前向きな姿勢になること、これらについてアメリカ人に刺激を与えることにある。」
著者は、日本が経済大国になったのは、日本人の能力や向上心や性格を総合した結果であるとし、よく言われる、「日本は給料が安いから」とか「日本人は働き過ぎるから」という理由を彼は退ける。
アメリカ人、とりわけ政財界の指導者に対して、本文ではさらに次のように警告している。
「我々が日本と公正な条件でビジネスをする方法を速やかに学ばなければ、アメリカと日本との友好関係は簡単に悪化し、敵対関係に陥る可能性がある。」
 日本人は昔から新しいものが外国から入って来ても、余りびっくりしなかった。近くはコンピュータなど、アメリカから入って来たばかりの時には、アップル・コンピュータで日本は埋め尽くされるかとさえ思われた時があった。しかし、数年もしないうちに国産の優秀なコンピュータがそれに取って代わった。百年前、黒船が入って来た時も、忽ちのうちにその背後にある西洋的産業技術を自分のものにしてしまった。そして、四〇〇年前、鉄砲が入って来た時も、五〇年足らずの間に、質量共に世界最大の鉄砲生産国になった。農耕稲作文化もそうであったに違いない。海外から輸入された農耕稲作文化を短期間に消化し、日本全土に普及させたものと思われる。
今も、多くの人に思い込まれているものに、狩猟採集生活をしていた縄文人の後に、農耕稲作文化をもった弥生人がやってきて日本を征服したという考えがある。しかし、「ホツマツタヱ」という古記によれば、狩猟採集生活をしていた原日本人が農耕稲作文化を海外から輸入し、短時間に消化したのであって、日本は弥生人によって征服されたのではないようだ。そして、日高見(宮城県)地方を支配していた豊受神がそれに一番成功し、その後天照神の孫・瓊瓊杵尊を派遣して農耕稲作文化を全国に定着させたというのが真相のようだ。(天孫降臨神話も天から山に下って来たのではなく、宮中から民間への派遣であった。今でも、退職官僚が民間会社へ転職することを「天下り」と呼ぶが、源はここに由来するようだ。)
このように、日本人は、古来から外から入って来た新文明に怖気づくことなく、それを速やかに吸収してよりよいものに改良してきたのだ。日本文明のパターンがここにも現れている。それでは、どうして日本文明はこのようなパターンを繰り返してきたのだろうか。著者・デイ・メンテ氏はその特色を分析し次のように述べている。
「日本人は昔から日本民族の優秀性を信じてきた。この信念は依然として強く生きており、今では文化や経済面にそれが表れている。『どんなものでも、自分にも出来る』という自信が日本を経済大国にまで築き上げてきた」と。
上智大学名誉教授・渡部昇一氏も著書「かくて歴史は始まる」(クレスト社)の中で、アジア人について同様の指摘をしている。「戦後。東南アジア、特に日本の占領下に置かれた国で復興が目覚しいが、その理由は白色人種にはかなわないと思い込んでいた有色人種が、同じ有色人種である日本人がその白人を征服し、従えさせているのを見て自信をつけた」というのだ。
さて、著者・デイ・メンテ氏がこれほどまでに日本の優秀性を論述する目的はどこにあるのだろうか。デイ・メンテ氏は若くして日本を知り、その優秀性に気付いた者の一人である。しかし、多くのアメリカ人、特に国家を左右出きるような人物でも、この日本の優秀性を無視し、自国の豊かさに浮かれて将来に備えなかったという。このようなアメリカ人を誰よりも憂うる者の一人が著者・デイ・メンテ氏なのだ。その愛国心故に、このような著作を通じて訴えを続けているように私には思われた。日本人とアメリカ人は互いに大きな違いを持っている。しかし、同時に共通点もある。それは、新しいものに同化する適応力であると著者は指摘している。この適応力こそ祖国が再生する可能性であると分析しているのだ。
今のアメリカは、すでに多くの日本の利点に気付いた人々によって日本化が進んでいるとも分析しておられるが、まだまだ多くのものを取り入れるべきだと言う。本文を引用してみよう。
「徳川時代の終わりに日本人が味わったように、我々自身をも一新する時が必要だ。我々の倫理的・道徳的基盤を一新し、社会制度全体を再構成すべきだ。日本文化の多くの側面を大胆に取り入れることがアメリカ文化の一新に繋がることになるのだと考える。」
著者が取り入れるべきだと考えた日本文化とはどんなものであったのだろうか。またどんな魅力があったのだろうか。本文の中からその幾つかを探ってみたい。
 


著者は、アメリカが日本化していくそもそもの歴史から説き起こしている。一八五四年ペリーが黒船を率いて来航し、三月には神奈川条約(日米和親条約)が調印された。多くの人の目には、この年は日米関係の始まりの年としか映らなかっただろうが、著者の目には「両国の役割が事実上逆転することになる始まりでもあった」と映ったのだ。
これが契機になって起こったのが明治維新であったという。つまり、新政府は「尊皇攘夷」をスローガンとして倒幕に成功した。しかし、幕府を倒した反乱者達は以前の多くの武士がそうしたように、「聡明かつ勤勉な君主・明治天皇(睦仁親王)をほとんど相談役程度に留め置いたまま、新政府を牛耳った」と著者は看破している。
著者・デイ・メンテ氏の捉えた日本文化の特色に触れてみよう。先ず、第一は、日本人の価値観が「和」にあると見ている。日本人はあらゆる人間関係において、見事なまでに調和を保とうとしているという。秩序に重点を置き、権威を尊重する。日本人の「和の原理」は、経済的、社会的、宗教的、哲学的であるというのだ。
第二は、「甘えの原理は高度にして洗練された概念で、日本文化の根底をなしている」と褒め称えている。「甘え」とは無欲な愛、無欲の信頼、無欲な依存であり、まず母親に対して向けられ、それから家族、社会へと拡がっていく。これは、日本が二〇〇〇年近くもの間、ほとんどが米作農民であったため、最も望ましい指導者の資格は、経験と知恵がものをいい、次に地域社会のために個人の欲望を捨て、そのグループ内で全面的に強調・協力出来ることにあったからだと言う。
第三には、正直を掲げている。道徳とは、教えなければならないものであると同時に、それに従って実際に生活していかなければならない性質のものだが、日本人はこの狭小空間の中で、長い年月をかけて培ってきたのだと言うのだ。
第四に、美的審美感の涵養である。千年以上に亘って、日本人は美を観賞することを日常生活の一環としてきたと言うのだ。日本人は日本人であるために、美というものを学び、習慣づけてきたと言う。日本人にとって美のモデルと基準というものは、自然あるいは自然を示唆するものに限る。そして、その行き着くところに、質素・倹約があるという。日本人が何かを美しいと誉める時は、それを生み出した技や技術ではなく、その物の「魂」を賞賛していると見ているのだ。
美を観賞し味わう技量というのは、一度学んだからそれで済むというのではなく、審美眼を養い、維持して行くための習慣や儀式を早くから発達させてきたと言うのだ。たとえば、美の鑑賞会(月見、花見、梅見等)や茶会等を開催してきたという。
これらの催しは、美を観賞することや共にいることを分かち合い、家族や友人達と交流するのに素晴らしい習慣であり、また教養を磨く絶好のチャンスでもある。そして、この中で、「詩歌を作ることが出来れば知的内容を盛り込むことになる」という。「詩歌は最高の知性と美的表現の結集されたもの」であって、「個人の教養がいかに磨かれているかを量るものでもある」と言う。著者は、詩歌を書くことなど大した意義もないと考えている多くのアメリカ人に、この日本人の風習を奨励しようとしている。
第五に、日本人には「祖国」と「日本人である自分自身」と「その業績」に高い誇りを持っているという。アメリカ人にとっては恥とさえ感じるのに、日本人の仕事ぶりは勤勉そのもので、献身的な働きぶりをするというのだ。日本人には、アメリカ人が失ってしまった何か、つまり、勤労、教育、忍耐、犠牲等を持っており、それを通じて、自らを磨こうとする心意気があるというのだ。
 日本人は、親切で自分本位でないことに誇りをいだき、自分自身と国家の面目を保つことで、自らの刺激としているのだという。逆にアメリカ人の労働者は、自らの仕事や自分自身に誇りなどほとんど持っていないという。 
雇用主の為に、自己の最善を尽くすといった気力もたいしてなく、ましてや、自分達の行為や努力が国家の繁栄と安定に繋がるなどということは考えもしないのだそうだ。このことは最高所得者で、優雅な生活を営んでいる類の人達にも言えるのだという。
第六に、勤労を売り物としない日本人の労働観である。二十世紀の日本が排出した最も特異な人材の一人として、著者は出光佐三氏を取り上げ、その成功哲学を紹介している。
出光氏の考えでは、西洋文化は、知識が物事の根源を指しているのに対して、日本文化は、心、つまり、人間のフィーリングが、あらゆることに優先しているという考えだ。だから、日本では対立や摩擦が少なく、すべてが平和と調和に繋がるというのだ。さらに、賃金は労働の代償ではなく、従業員の生活を保証するものという考え等があるという。この他にも、まだまだ傾聴に値する日本論がありますが、詳しくは本書に譲る。
(ボイエ・デイ・メンテ・中経出版・一五〇〇円)

「日本とは何か」(書評集)
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