「日本とは何か」(書評集) 宿谷睦夫著 |
Q「拝啓ニッポン殿」 表題の著書は、デンマークの青年が十六歳の時に日本に憧れて、来日以来十数年に及ぶ日本滞在を基に書き上げた「日本論」ともいうべきものである。 著者・ピーダーセン氏とは一九九五年の春、元英国首相・マーガレット・サチャー氏の講演会の晩餐会の時にお目にかかったのが初めてであった。サチャー氏は一九九五年の春の外国人叙勲を受けられる為に来日されたものであった。 著者・ピーダーセン氏とはその晩餐会でお話ししている内に親しくなり、ご著書を拝読させて戴くことになった。此迄に、筆者も数多くの「日本論」を読んで来たつもりであったが、結論から申し述べれば、この著書ほど「日本論を研究して来た意義」を感じさせてくれたものは無かった。又、「日本論」に関心を寄せる外国人と言えば、日本に関心を持っている人なのであろうが、ピーダーセン氏はそこに止まらず、「日本人が日本論に取り組む意義」も合わせて理解させて戴いた次第である。つまり、筆者のその後の生活態度を改善し、自分を高めて行く上で、大いなる刺激になったということである。 日本の文化の一つである和歌を徹底的に修練・訓練することにより、英国詩人・ジェイムズ・カーカップ氏からは「短歌学者」「シュレジンガーのような即興詩人」「世界文学に新分野を開拓した創始者」と評され、アメリカの著作家・ボイエ・デイ・メンテ氏からは、自身の著作「武士道」の中で、「東洋一の即興詩人」と評されるまでになった。これも偏に、著者からの恩恵の一つである。 日本人はとかく、日本論に耳を傾けるのが好きだと言われている。「自分が周囲と異質な存在にならないようにする」島国という狭小空間、あるいは農耕民族の特性と言おうか、日本人は「自分が自分をどう思うか」よりも「他人が自分をどう思うか」に気を取られる性格を持っているからなのだろうか。そして、日本ではその「日本論」に少しでも良い事が書かれていれば、大変な反響を呼んできた。又、外国人の「日本論」の中には、日本を研究し、その弱点を探し出して、日本攻略の材料にするものもあるという。ベネディクトの「菊と刀」なども、本来の目的はそんなところにあったと言われている。オイルショック、ドルショックに始まって、「時短」もそんな目的の日本研究の結果から考えられた日本攻略の一手段であったという識者もいる。(前述したが、)少し話が横道にそれるが、もし、「時短」が日本攻略の戦術であったとすれば、大きな戦略ミスであったと思う。 日本はこの「時短」の推進によって、益々その産業構造を良き方向に推進させたからである。一言で言えば、「ロボット産業革命」である。この革命に於いて、アメリカやドイツは正に、日本の強敵であった。しかし、アメリカはナフタ(北米自由貿易協定)により、ドイツは東西統一によって、労働力が供給されるようになった為に、このロボットへの研究投資に陰りを見せ、日本に一歩遅れをとったと言われている。それに引き換え日本は、「労働力不足」と「時短」が加わることによって、ロボットへの研究投資が最重要課題になっていた。自動車工場の組み立てラインなどは、全てと言っていいくらい、このロボットに負う所が多いが、今や国内は勿論のこと海外の自動車会社の組み立てラインの設備投資は日本のロボットに依存していると言ってもいい。 さて、話を本題に戻すが、筆者がこの著作から学んだ最大の収穫は、前述の他にも普段の社会生活をしていく上で、大いに役立つものになったことであった。 我々日本人は誰もが、「自分が正真正銘の日本人であるということ」に一点の疑いも感じずに過ごしているに違いないと思う。確かに、「国籍」や「人種」や「言語」のどれをとっても、日本人であることに疑いようはないであろう。しかし、「生活態度や知識・教養といった点で、日本人らしい日本人」が今、どれほどいるであろうか。筆者はそんなことに、この本を読んで気付いたのである。 本著は巻頭の所で、先ず次のように語っている。「日本人は今、世界から注目されているが、世界に何らかの形で貢献したいのであれば、先ずは、@自分の国を奥底まで、知る必要がある。A自分と自国の文化を探ること、B自分のルーツを知ること、C自分のアイデンティティをしっかり持つこと、それによって初めて『国際人』になれる。」昔の日本人は、少なくとも戦前までは、良し悪しは別として、「鍛錬」とか「訓練」という習慣が日常の中にあった。しかし、「日本人らしさ」の、「鍛錬」や「訓練」が今、どれほど残っているだろうか。筆者は日本文化の一つとして、短歌に執心している者の一人であるが、短歌一つをとって見ても、「古来からの伝統に従って歌を詠むこと」が出来る歌人は極少数である。 しかし、筆者はWBCでの連続二回に亘る世界制覇を見た時、「サムライ・ジャパン」と名乗った日本チームは伝統的日本人の姿を消していないことを悟った。そして、多くの日本人がそれを自分のことのように喜び、自分の生活の中で誇りを感じ、そのような生活を自分の分野で成し遂げていこうと自分に言い聞かせた人が多かったのではないかと思った。 日本人は過去に捉れず、自分の生活空間が広がるとその環境で一番注目されているもの、或いは、一番必要と感じたものやことに情熱を傾ける人種なのかもしれない。 その意味で、著書「日本人の脳」で世界的な名声を博した角田忠信博士によると、「六才から九才までに、日本語の言語環境に育ち、日本の土地に居住していれば、日本人は消滅することはない」という学説を打ち立てた。又、ノーベル賞を受賞したフランスの学者・レビーストロース氏も「言語と社会構造の関連性」を解き明かしている。その意味では、日本人であることは失われないものであろうが、日常の社会生活を快適に、しかも、外国人とも互いに尊敬し、関心を深め合うような付き合いがしていけるだけの、「日本人らしい教養と能力」を身につける何等かの努力が必要であることに気付かされた。 筆者も本著から、自分がまだまだ、日本人として快適に生活出来る為の術(すべ)を学び取っていないことに、気付かされた次第であった。 さて、本著で言及している日本並びに日本文化の特色というべきものを幾つか取り上げてみたい。本著は先ず、日本文化の特色を日本人と西欧人との違いから説明している。例えば、戦後、西ドイツでも著しい経済成長を背景とした社会的奇蹟が起こったが、「アメリカ文化のアイドル化は見られなかった」という。日本人は強い愛国心を抱いているように見えるが、純日本的な古いものを守ろうとするだけではなく、外国から入って来た優勢なものは自分自身及び母国の為に有益に生かし、日本の発展に努めているという。「国の伝統を維持し、伝統文化としての言語、建造物等だけを守る」という西欧的愛国心とは違うのだという。 浮世絵が陶磁器の包装紙として見捨てられたり、原爆を落とされて、日本人が原爆実験のモルモット同然に扱われたにも拘らず、その当事国・アメリカが崇拝の対象となるという現象は西欧では考えられないという。 しかし、著者は、「日本人は今後、有用なものは取り入れていってもいいが、自国の伝統文化は守り、又それを外国にも与えて行くべきだ」と提唱している。 外国人である著者の目からは、ご提案のように、日本人の多くは、例えば、「浮世絵を陶磁器の包装紙として見捨てた」ように、自国の伝統文化を軽視してきた歴史があるが、少数ではあるが、それを堅く守っている人達がいることは確かなのだ。しかし、著者は、もっと多くの日本人に、それを督励してくれているのだと思う。 |
次に、本当の日本とは、伝統に縛られた田舎の生活でもなければ、超近代的な都市文化でもなく、白でも黒でもなく、対照的なものと混合的なものが溢れ、一つのまとまったものがないことこそ日本の特徴を示し、それが実際の日本ではないかという。では、その背反する二つのものを結びつけているものは何か?それを著者は幾つか挙げている。先ず、第一に「古代から天皇と皇室の地位を中心として、綿々と受け継がれてきた考え方」にあるという。第二は、「言語」であるという。どんなに日本語の上手な外国人でも、その人の会話の中に何等かの細かい違いや変わったイントネーションを見出すという。日本語も日本人が大和魂を守り続けている重要な要素なのだという。 第三の特徴は、日本文化は「枠の文化」だという。「枠の文化」とは、自分が演じる役割、自分の特質よりは、属するグループ「枠」が大切という意味である。つまり、最も重要なことは、自分はどんな職務を果たし、個人的にどんな役割をもっているかという「内容」ではなく、どんな集団(会社・学校・団体)に属しているかという「外形」であるという。 個人よりも、集団の成就と祝福が大事に思われる。集団の存在と前進なしには、個人も生きていけない。集団あってこそ個人も存在する。西洋では、個人が第一で、集団は個人の貢献なしには存在しないと考えるという。つまり、個人は何等かの形でグループを支えている。その代わりグループは、給料という形で見返りをする。 日本の場合は反対に、集団が個人に職や教育を与え、それを与えられた個人は努力によって、「報恩」、つまり、義務が重視される。西洋人にとって、個人をこのように軽視することは、不気味に感じられるらしいが、日本人にとっては安全性と堅実性が与えられ、望ましい生活が保障されるというのだ。 多くの日本バッシングの中に、日本文化のこの特色を指して、日本は閉鎖的だと批判しているという。しかし、著者・ピーダーセン氏は、その功罪をはっきりと見極めている。日本のこの「枠の文化」は、弱者にとってとても有利な特色だという。大多数の大衆は弱者の立場である。よって、この「枠の文化」を高く評価している。「集団との絆や果たさなければならない義務は、負担となる時もあるが、同時に支えともなっている」という。しかし、有能な特定の個人にとって、西洋的個人主義は有益なのだという。 第四の特徴は、母親が家庭の実権を握っているという。日本での専業主婦の心構えや世間においての評価は西洋と異なるという。現在の西洋、特に北ヨーロッパでは、「ちゃんとした仕事」を持たない女性は、世間の軽蔑に悩まされるという。日本での専業主婦は尊敬され、彼女の仕事は周囲の人からも非常に重要であるとされているという。母親は家族の幸福を維持する立場にあり、家族全員の健康や服装に気を配り、家計を切り回している。 第五の特徴は、日本文化は「恥の文化」であるという。個人主義の社会に於いては、個人的行動をとるべきであって、周りの人と違った振る舞いをしても、恥にはならない。また、罪を犯しても罰せられることによって、背負った罪を取り消すことが出来る。しかし、「恥の文化」では、恥を取り消す方法は無いに等しいという。その為、行動を起こす前に、その行動が引き起こす結果を配慮することが大切になる。そのことから、日本人は自分に余裕と逃げ道を保つ為に、物事を曖昧に言い、断言をしないのは、こんな所から来るのではないかという。筆者も、新聞でこんなコラムを読んだ記憶がある。「偉い人」という言葉があるが、これは平安末期から戦国時代にかけて、京都から生まれた言葉だという。当時、京都の支配者は常に変わっていたので、「あの人は偉い人」だと断言してしまうと、別の人が支配者になった時、前の支配者を誉めた者は処刑さえされかねなかった。そこで、「偉い人」の意味には、文字通り、「偉い人」という意味と、「とんでもない悪い人」という全く反対の意味にも取れるようになったのだという。 日本の高校生はアメリカと比べて、数学だけでなく英文法に於いても高い点数を取るという。暗記となると日本の子供達は誰にも負けないという。漢字が数千もあるのに拘らず、日本の文盲率はゼロに等しい。しかし、文法を暗記することが出来ても英語でまともな文章は書けない。創造性と自立心が不十分だからだという。 第六の特徴は、日本ほど、「原則」と「現実」の間のギャップが大きい国は少ないという。新憲法第十三条には、「全ての国民は個人として尊重される」とある。しかし、「枠の文化」で触れたように、日本人は個人よりも集団が、内容よりも形が優先されるのであって、個人は集団(枠)によって社会的地位が与えられ、集団あってこそ、個人が存在するという社会が現実なのである。第十三条ではどうか?「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを乱用してはならないのであって、常に公共の福祉の為に、これを利用する責任を負う」とあるが、個人の自由及び権利が重要視されない社会に於いて、この条項はあまり意味が無い。 西洋社会では、権利が義務の先に来る。つまり、西洋人は奉仕する前に、何かを受け取ることをあてにしている。ある権利を得てから、それに相当する義務も果たさなければならないという考え方だという。反対に、日本では、義務をきちんと果たしてから、初めて権利が得られるという発想になっているという。 第七の特徴は、日本ほど治安の良い国は無いという。一九九五年に起こった「地下鉄サリン事件」以来、日本も普通の国になったという識者がいなくも無いが、多くの日本人は、その治安の良さに胡座をかいているというのが現実ではなかろうか。「恥の文化」が「罪の文化」よりずっと予防的であること、又、道徳的なものがその原因なのではないかという。野球場やお寺の境内など、あらゆる所に設置されている自動販売機は日本の治安の良さを物語っているという。西洋のどの国にも有り得ない状態だという。 しかし、日本文化の特色として、この「枠の文化」、「恥の文化」は日本では、行動を起こす前に色々と配慮し、周囲の人々に迷惑をかけたり、傷つけたりしないように、思いやりを示し、又、自分も恥をかかないように、気をつけるという特徴、社交上のこのルールは、自分と絆のある人や関わりのある人との範囲内にしか通用しない。町で偶然すれ違った人や電車の中の他の乗客など、自分と関係の無い人に対しては「恥」や「義理」は感じず、又、「思いやる気持ち」も湧いてこない。「旅の恥はかき捨て」という諺があるくらいである。 「恥の文化」が自分と絆のある人だけでなく、どんな人にも出来るようになった時、日本人が世界中の人々からどう評価されるかが変わってくるのではなかろうか。 (ピーター・ピーダーセン・近代文芸社・一四〇〇円) |
「日本とは何か」(書評集) 「日本とは何か」(書評集)目次 |
||
著者・宿谷睦夫のプロフィール |
プラボットの異端児(短歌入門部屋)に戻る 当サイトはリンクフリーです、どうぞご自由に。 Copyright(c) 2014 Yoshihiro Kuromichi(plabotnoitanji@yahoo.co.jp) |
||