「日本とは何か」(書評集)
宿谷睦夫著

P「ウエイクアップ・ジャパン」
ジョージ・R・パッカード著


P「ウエイクアップ・ジャパン」

 表記の題名を見て、「少々高飛車な言い回しだな」と思いながら、本書を手にすることになった。しかし、それ迄の日本に許されたことが、経済大国として、当時あれだけ成長を遂げ、当時、世界中が嫉視の眼差しを向けている時に、今迄通りに振舞うことは出来ないと考えるのが当然であろう。
 「日本はこれからどうすべきか」という問題は当事者よりも、第三者の意見の方が、反って的を得ていることが多いものである。そんなこともあって、書店の書棚に並んでいた本書を読み込むことになった。
 結論として、本書に出会ったことを今では大変感謝している。それは、著者の提案が有効な見解であるか否かを吟味する以前に、筆者にとって日本文化を改めて見直し、且、アメリカの(報道とは)違った側面を見聞きできたからである。
 著者はアメリカのことを誰よりも憂慮している愛国者であり、アメリカ建国の精神とも言うべきユダヤ・キリスト教精神の典型的な信奉者であることが全文から伺い取ることが出来たからである。
 その根拠となるべきものを幾つか挙げてみたい。先ず第一に、原爆に対する考えである。ルーズベルト大統領夫人が嘗て、来日された時に、「もし原爆を投じなければ、もっと多数のアメリカ兵が死傷せねばならず、それはやむなき当然のことであったとアメリカ民衆は考えている」とある質問に答えたそうであるが、著者・パッカード氏も同意見であることを表明されていた。アメリカ国民の六十%以上を占める白人社会において当然の考えかもしれない。
話は少しわき道にそれるが、多数を占める白人社会のアメリカに、今、異変が起こりつつあるのであろうか。嘗ては奴隷としてアフリカから略奪されてきた黒人の子孫であるオバマ氏が今年(二〇〇九年)、大統領に就任したのである。彼はプラハでの演説の中で、アメリカが日本に原爆を投じたことは、やむをえないことであったとしても、「道義的責任を免れることは出来ない」と、戦後のアメリカ大統領の中で始めて、謝罪表明とも取れる発言をしたのである。
それはさておき、本題に戻ると、日本人の考えの中には、絶対というものの考え方が一般的には存在しない。「日本的ファージー発想が世界を救う」(日新報道)の著者・マレック・カミンスキー氏は「じゃんけん」の理論を応用して、日本人の精神構造を分析している。つまり、日本人には全てのものを善か悪かで割り切るのではなく、A、B、Cがお互いに依存関係にあるし、何方も悪、つまり、「あいこ」という概念が存在するというものだ。
著者・パッカード氏は、本書の中で、この発想に驚きを示していた。「アメリカ主導の連合軍とイラクとどっちが正しいか」という質問に、日本の小学生四〇人は、全員が「どっちも悪い」と答えたことに対して、「私達アメリカ人は、どう理解したらよいかわからない」述懐している。「クエートの国民と環境に暴虐行為を働いた独裁者・サダム・フセインと、ブッシュ大統領が、本当に、同じ倫理レベルにある」というものの考え方に戸惑いを示していた。
松原久子氏(スタンホード大学フーバー研究所特別研究員)が文芸春秋の一九九一年四月号の「アメリカは戦争を望んでいた」という手記の中で言及しているが、アメリカ政府の中枢部の中には陰の思惑が存在したと見ていいわけであり、著者がそのことに何の疑いも持たないということからも、アメリカの立場にどっぷりと漬かってしまっていることが伺える。
第二に、「フェアー」という考え方である。「アメリカのこの『フェアネス』は、ユダヤ・キリスト教の伝統によるものであろう」と述べている。
本書は、このような立場から、日本とアメリカの将来、延いては、世界の平和と繁栄の為に、日米の協力を強調する道を提案したものだと思われる。
「祖国・アメリカを愛する者にして初めて、相手の国を真実思いやることができるのだ」と著者は語る。それは本著の行間に感じ取ることが出来る。それ故に、著者の提言に心底耳を傾けることが出来た。そして、全面的にとは言わないまでも、著者の提案が日米の政府指導者に注目されることを望むものである。著者はその幼少期に、一般のアメリカ人と同様、一九四一年十二月七日の真珠湾攻撃によって、初めて日本を知ったのである。私も一年弱のアメリカ滞在の経験があるが、アメリカは日本以上に、海外のことが分からない国であることは確かだ。日本人と韓国人と中国人の区別が殆どの人が出来ない。私は中国人やベトナム人によく間違えられた。ソニーやナショナルの製品も日本のものだと思っているアメリカの庶民は殆どいなかった。アメリカの政府や新聞が報道するものをそのまま信じてしまうのである。「大統領くらいになって初めて、日本の存在を認識する」とも良く聞いたものだ。
多感な少年期に教え込まれた著者は、日本人に対して、本能的に恐怖と憎悪を自分の中に培うようになったと述懐している。
日本人に対する恐怖と憎悪がいつから安心と好意に変わったのであろうか。それは、一九四九年、著者が十七歳の時、セント・ポウル校に槙原稔氏(一九九〇年に三菱インターナショナル会長に就任)が留学してきたことによって、変わったのだと言う。槙原氏は穏やかで礼儀正しく、思慮深く、そして、才気溢れる学生であったとのことだ。友人関係は今でも続いているとのことである。
それからさらに、憎悪から好意に変わった日本に、いよいよやって来ることになったのである。それは一九五六年二月、陸軍情報部の職務に着くためであった。そして、七年間日本での生活が始まった。
著者の七年間はまた幸いであった。様々な人々との友情に恵まれ、豊富な経験を積む事によって、日本の真の姿を、そして、日本が世界に絶大な貢献をする可能性を秘めていることを学んだと言う。
それでは、著者が学んだ日本とは、又、日本文化とはどんなものであったのだろうか。著者は様々な美点を学んだようであるが、特に印象に残ったものとして、次の三つを挙げている。第一は「美」を尊敬する心、第二に「老い」を尊ぶ美学、第三が「自制」を尊ぶ慎みの心であったという。
 真の日本を理解する上で、先ず最初に出会ったのは、「盆栽」であったという。「盆栽」は都市の弊害に直面し、人の犇(ひし)めき合う国で、個人の、それもどんな小さな住宅や庭でも、自然の美を育み楽しむことが出来るし、季節の移り変わりに感動することも出来る。日本人が「盆栽」を世話し、珍重する姿から、日米間の文化の違いとアメリカ人への教訓を得たという。
 著者が日本から得た一つ目の教訓は、「盆栽」という芸術から、継続性、季節感、親子の絆、将来に対する配慮、そして、過去からの遺産としての自然の保護が尊重されるということであったという。そして、二十一世紀における地球という惑星の存続が、これから生まれて来る世代の幸福を思う心に懸かっている故、この点で世界が認めて学ぶべき教訓が、「盆栽」という芸術を通じて、「美」を尊敬する心に内在しているという。
 日本理解の為の第二の出会いは、書道であった。書という芸術様式は、日々の研鑚により達人でも生涯を通じて上達し続けるものであり、芸術的に均整のとれた完璧な書を描くよりも、年齢によって円熟した人格と智恵が書の中に体現される事を重んじるものであることを書家から学んだという。
 アメリカ人の一般的な考えでは、「若さ」が輝かしい成功と進歩を意味するという。歳を取ることは、将来に潜んでいる災厄のようなものだという。アメリカの「若者文化」は、スポーツ競技のチャンピョンや俳優、四十三歳で大統領になったケネデー、そしてビートルズを讃えた。
 ところが、日本の書家・藤沢氏から教えらたことは、その反対であった。歳「老い」ることが、技術の進歩や芸術の完成、あるいは最終目的への到達を意味するもので、「若年は愚かな試行錯誤の時」と聞かされた。
 著者が日本から得た二つ目の教訓は、「歳を取ることは災いだと決め付ける必要はなく、人生の最後の仕上げに向けて毎日努力を怠らなければ、人は老年になってこそ、人として円熟し、智恵を備え、人生の不思議を理解する深い満足感を味わうことが出来る」というものであった。
 高齢者を敬い、良くも悪くもその意見を尊重する社会は、年長者は老人ホームに送りこまれ、家族や友人に会う喜びも得られずに、病と死を待つしかない(アメリカのような)社会より、遙に文明化し、進んだ社会であるという。
 ほとんどの日本人は趣味や研究を持って、生涯学び続け、又、人に教えもすることも知ったという。その対象は、「書道」のみならず、「墨絵道」「歌道」「華道」「茶道」「柔道」「剣道」等、多種多様な芸術や技能全般に亘っているという。
 日本では、「人生とは、弛まぬ修練と指導を通じて、『形式の完成(型)』と『内容の充実』という目標を目指して、個人の才能を意識的に着実に伸ばしていくことである」と分析している。
日本理解の為の第三の出会いは、「民芸陶器」特に、陶器家・浜田庄司氏との出会いであったという。
日本の偉大な陶器家、或いは、その他の分野で名も知られずに、優れた業績を残している人々は、集団の中に身を没したまま、個人として賞賛され、金銭的に報いを受ける事を慎む。西洋社会なら当然に与えられるものを日本人は避けるのである。日本はこのことを世界に教示すべきだという。
著者が日本から得た三つ目の教訓は、この地球で将来の人類の生存を確保し、又、アドルフ・ヒットラーやサダム・フセインのような誇大妄想に駆られた独裁者の新たな台頭を防止しようとするなら、西洋人は、個人の欲望、利己主義、そして、権力欲を制御し、又、それらの衝動を人類全体に貢献する行動にと昇華する術を学ぶ必要があるという教訓であったという。
西洋の「利己的な個人主義」と、日本の「排他的な集団主義」の中間に、両者の伝統の良い所が溶け合う接点があるはずだという。
前述したように、全く価値観の違ったアメリカ人が、此れほどまでに、日本文化の美点を理解して戴いたことは、偏に著者の日本に対する好意と人格の高雅さに依存するものと思われる。その意味で、著者・ジョージ・R・パッカード氏に絶大なる好感を覚えるものである。
 アメリカと日本の両国民は本質的に対立する理由は一つとして無い。しかし、両国民の対立を意図的に騒ぎ立てる者もいることは事実である。リヴィジョニスト(日本見直し論者)と云われる人々がそれである。「日本・権力構造の謎」の著者・カレル・ウオフレン氏などはその代表であるという。
 しかし、そんなリヴィジョニスト達の意見を封じる切っ掛けとなったのは、湾岸戦争での日本の対応であったという。
 アメリカのリヴィジョニスト達は、一九八〇年代、日本の巨大化、そして、アメリカとの利益衝突に警告を発し、日本を封じ込めなければ、ならないと論じた。ところが、一九九〇年秋、海部首相と自民党は「国連平和協力法案」を成立させることが出来ず、唯、一三〇億ドルの財政援助だけに終わった。このことによって、日本の平和主義は本物で、信用が出来、直ちに、消滅するようなものでないことを、アメリカのリーダー達が理解するようになったという。日本が侵略国家や武器輸出国になるのではないか、他のアジア諸国への脅威になるのではないかと懸念する人々の不安も鎮めたという。
 


 更に、湾岸戦争で日本の五分の四が自衛隊の海外派兵に反対し、国会がその国民の意思を尊重しなければならなかったことにより、ワシントンも、日本も民主主義の国だと認めたという。しかも、リヴィジョニスト達の妄念、即ち、「日本に民主主義は皆無である__体制がある種の『システム』によって国民を支配し、政府は、国民がその仕組みを看破して決起することを絶えず恐れている__という考え方のナンセンスなことを証明することになった」とパッカード氏は本著で指摘している。
 一九九〇年代のアメリカは、次の四つのことを理由に特別な時期にさしかかっていたという。先ず第一に、ベルリンの壁の崩壊後、内政問題に焦点が当てられて来たこと、第二は、当時の不況対策、第三は、ソ連の脅威を考えなくてよくなったこと、そして、第四は、経済超大国になった日本問題であったという。
 一九九〇年代のアメリカ人は、アメリカの経済繁栄の挑戦者として、日本を恐れるべきだろうか。国際問題における両国のパートナーシップと安全保障条約を維持すべきだろうか。新しい日本人とはいったい何なのか。日本人の最終目的は何かといったことを試行錯誤していた時だったという。
 その後のアメリカを我々日本人は、報道のメディアを通じて、債権からから債務に転落した国、野放図な楽天主義、贅沢と浪費、巨大な富の集中、エイズ、麻薬といいた悪いイメージを持って来た。しかし、振り子は確実に、古い伝統的なアメリカの価値観の方向に戻っていたという。それは、質素な生活、家族と宗教、勤労と貯蓄を尊重する精神であったという。
 「日本化するアリメカ」(中経出版)の著者・ボイエ・デイ・メンテ氏も強調していたように、アメリカ人は適応力のある国民であるが故に、大抵のアメリカ人は、競争力を回復する為なら、どんな難問をも受け入れるであろうという。
 つまり、貯蓄増加、研究促進、教育改善、経営改善、熟練労働者育成等について、やるかどうかの同意を求めるまでもなく、直ちに方法論を論じればよいという状況になるだろうと著者・パッカードは予測していた。
 変化するアメリカと共に、世界の多くの国々から最も注目されるような国、それが日本であることは間違いないようだ。そのようになった日本は、その状況に対処する準備が果たして出来ていただろうか。著者の答えは「ノー」であったという。一九五〇年代、六〇年代に、アメリカは単純すぎたし、自らの倫理を振りかざし、他国文化に無知であったために、数々の失敗を犯してきたが、一九九〇年代の日本もそれと同じ危険を孕んでいたという。芸術、建築、美学、文学、産業、科学技術、経営、教育と日本が並外れた成功を遂げた分野は枚挙に暇が無いが、それにより、世界中から多数の学生が母国のために日本を学びに押し寄せる状況が続くだろうという。
 しかし、日本がかつて、追い着こうとした基本的条件は、今や海外には存在しない。それどころか、日本は先端技術のための応用科学のような分野で先頭を行くペース・メーカーとして、アメリカを含む諸国間の競争促進の原動力になっていたという。
 先ず、一九九〇年代の日本は諸外国からどう見られていたかである。著者・パッカード氏は次の三つを挙げていた。第一は、自国中心で、他国や他国民の安定や福祉には無関心な国と見られていたという。第二は、単なる嫉妬であった。(これに対して、日本人のとるべき最善の策は、戦後アメリカの権力と富が世界の嫉妬の対象になった時のアメリカの経験を教訓にすべきだったという。)第三は、団体で海外旅行し、日本人だけで海外生活をしたがる性癖だったという。
 このような状況下で、日本は何をすべきだったのだろうか。先ず第一は、異文化間の誤解を解消することだったという。日本人同士は、沈黙を含めて、言葉以外の色々な方法で、意思疎通を図ることが出来る。しかし、残念ながら、アメリカ人は意思を伝えるためには、日本人より言葉が必要で、例え、不愉快な事柄でも、言葉で表現することを好む。しかも、相手の目を直視して、直ちに、信頼の絆を結ぼうとする。このようなことは、一世紀前から言われて来たことであるが、「新しい世界秩序」の中で、日米両国が、最も重要な大国として、パートナーとして、競争相手として、この相違点を改めて重視しなければならないという。(この解決方法を提唱する人に、私のアメリカ人の畏友・ボイエ・デイ・メンテ氏がいる。彼は、著書・「日本の秘密兵器『型』」(HBJ出版局)の中で、日本人との付き合い方を詳細に伝授している。彼の教授により、多数の企業関係者が日本で成功を収めてきた。)
 第二には、世界の自由貿易体制は、分業原則に基づいているから、日本がこの原則を無視して、全ての先端技術の分野で他に抜きん出ようとするなら、日本に今日の経済力と権力を蓄えさせてきた自由貿易体制そのものを否定することになるだろうという。
 どんなに日本がナンバーワンになることが確実でも、踏み入ることを控えるべき領域というものがあることを認識しなければならないという。控えることこそ、第一の安全保障なのだという。(田中角栄はロッキード問題で失脚していった。アメリカの繁栄の維持にとって障害となること、つまり、日本がアメリカに対して控えるべき領域に踏み入ろうとしていたのが失脚の最大の原因であったと消息筋は伝えていた。それは、航空機製造分野への参入を計画していたことであったという。今でも、日本は航空機を製造することは許されていないことで明白である。この意味でも著者・パッカード氏の指摘は的中していたことが分かる。)
この点では、アメリカについても言えることだという。これは、両国の政治リーダー達にとって過大な要求になるかもしれないという。しかし、これまでの外交問題では、自制的な政策は、それほど尊ばれてこなかったからだという。その意味では、一九九〇年代以降の日米両国は国際関係史の新時代に突入していたという。
 我々日本人は、戦後自由主義を無分別に受け入れてきたように思う。しかも、無制限な自由のイメージさえ持ってきた。しかし、遠くローマの時代から、欧米人の自由(リベラル)というのは、ある一定の制限の中で許されたものであった。(私は平成五年にフランス・パリを訪問した時に、いやと言うほど実感させられた。パリの町並み、建築物の高さ、住居の八〇%が借家であること等であった。これら全てが国家によって管理され、個人の自由で高いものを建てることは許されていないということを観光ガイドから説明を受けた。パリの場合はナポレオンがその企画を決定したのだという)
 日本は一九九〇年代以降、発展途上にあった時代のように、他国を模範にして生きていくことだけでは許されない時代に入ったのである。それでは、何を模範とし、規範とすべきなのだろうか。「温故知新」という言葉があるが、人類の過去の遺産に注目すべきであるように思う。これについては、前章C樋口清之氏の「温故知新と一所懸命」で詳述したが、日本では、記紀の原典と思われる古記「ホツマツタヱ」や「ミカサフミ」等の文献が発見されている。その内容を見ると、これからの新しい時代の対処の仕方、人間として守るべき倫理規範が詳細に記載されている。著者・パッカード氏が「どんなに日本がナンバーワンになることが確実でも、踏み入ることを控えるべき領域というものがあることを認識しなければならない」と指摘した警告は、この古記「ホツマツタヱ」の中には天照神の「妬み妬まる/皆咎ぞ」(人を妬むことは罪になることは、当然だが、「踏み入ることを控えるべき領域」にまで踏み入って繁栄し、人の妬みを受けることも罪になるのだ)という言葉で克明に記されているのだ。著者・パッカード氏は日本人の古代人の智恵を改めて日本人に気付かせてくれているように思う。
 著者・パッカード氏の忠言は続く。第一は、チームワークの尊重。第二は、持ち前の気前よさを国際社会で示すこと。第三は、子供への教育、芸術による生涯の充実、年長者に対する尊敬の心を世界水準にすること。第四は、日本独特の美点に対する誇りを、他国の美点の発見にも広げること等であった。
 更に、日本は、今迄のような、物質的魅力にのみ取り付かれているのではなく、勝者としての度量を忘れないで欲しいという。日本人、特に、日本経済の戦士達が、当時しなければならなかったことは、世界という桧舞台で、リーダーとしての理想をはっきり語ることだったという。日本のリーダー達は、どの分野でも、沈黙し続けることが許されなくなっていくという。西洋社会では、「沈黙は、現実に何もなくても、悪巧みの証」とされることが多い。日本人の中には、日本並びに世界のよりよき未来像を鮮明に心に抱いている人が多いのだから、それをはっきり口に出して言うべきだという。日本の官僚もその新たな理想の実現に向けて動き出すべきだという。
 アメリカ国民は、@「潜在的な強さと回復力を持っていること」、そして、他のどの国よりも、A「日本人を友達と思い、崇拝する人が多い」国民であることを忘れないで欲しいという。
 アメリカは超大国だが、暴君ではなく、日本はリーダーであって、犠牲者ではないという。両国は、貿易でも、投資でも、フェアネスの諸原則で合意に達することが出来るという。
 アメリカで、「日本叩き」を試みた政治家(コナリー、モンデール、ゲッパート等)が成功を収めず、貿易戦争をパートナーシップ強化で解決をしめした政治家(レーガンやブッシュ)が国民の支持を得たことは注目すべきだろうという。本著での、日本並びに日本人に対する提言、忠言、分析は筆者にとって、日本人としての自覚を大いに喚起させてくれ、感謝に堪えない。
(ジョージ・R・パッカード・講談社・一五〇〇円)

「日本とは何か」(書評集)
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