「日本とは何か」(書評集)
宿谷睦夫著

N「転機に立つ日本」
ビル・トッテン著


N「転機に立つ日本」

 前著「日本は悪くない」(ゴマ書房)という本を手にして以来、私は、著者・ビル・トッテン氏の哲学に敬意を抱いて来た。本著も一層彼の哲学の深さと物事の本質を見抜く洞察力に感銘させられる力作であると思った。
 本著は、当時(平成四年)、日本で最も問題になっていた「時短」に関連して書き下ろした「日本論」と言っていいだろう。
 「時短」は日本人自らが考え出して決めたものではなく、「ある特定のアメリカ人達」から出された苦情に反応したものに過ぎないのだと証言していた。「ある特定のアメリカ人達」はかつて、「日本企業は社員の給料が安いから成功している」と文句を言った。その文句を言った同じ人達が、今度は「社員に長時間の残業をさせているから日本企業は成功している」と言い始めたことが、「時短」のきっかけになったのだという。「日本はアメリカのごく一部の支配層によってコントロールされている」ということはよく耳にしてきたことである。これを日本人が正面きって発言したら、大変な問題になるだろう。
 幸いにも、ビル・トッテン氏はアメリカ人である。ユダヤの冗句に「ユダヤ人のユダヤ批判は冗句になるが、非ユダヤ人のユダヤ批判は反ユダヤになる」とシーラ・ジョンソン氏が産経新聞・平成五年二月二十一日号の正論欄で述べていた。
 トッテン氏は「時短」によって日本人を怠け者にし、日本の競争力を低下させようとしていると警告している。
 トッテン氏は日本に二十年以上も住み、アメリカ人であっても、日本では差別されず、実力さえあれば、十分成功していけることを身を持って体験されてきた方だ。

 この著書の隅々に、日本に対する情愛の念が滲み出ているように思う。アメリカ人でありながら、正しくないアメリカを批判し、日本人にはアメリカの悪い所を真似るなと警告してくれているように思う。その意味でも、トッテン氏の警告には心から信頼出来るものがあるように思う。
 トッテン氏の警告は有難いが、日本人はこの位の罠に嵌って崩れる人種ではないと筆者は考えている者の一人である。嘗て、出光氏は、六〇年安保騒動の頃、ゲバ学生の反乱でマスコミが日本の将来が危ないと叫んでいた時があった。しかし、出光氏は「三〇〇〇年続いた日本の伝統は百年やそこらの外国文化の影響で崩れることはない」と豪語されていたことを思い出す。その頃のゲバ学生は今、日本の社会の中枢で働いている訳であるが、飼いならされた猫のように大人しく、外国から閉鎖的とまで言われるくらい会社に忠誠を尽す戦士と生まれ変わってしまったのである。
 やや冷やかし半分の表現になってしまったが、おそらく、この「時短」の問題も、渡部昇一氏の言葉を借りれば、「歴史的パラドックス」として、より良い方向に転化されるものと思う。確かに、これまでの産業理論からすれば、トッテン氏の警告の通り、「日本の競争力」は低下していくであろう。しかし、色々な識者の見解を総合すれば、日本には新しい産業革命がこれから起こりつつあると思われるからである。その新しい産業革命が起こる引き金に、この「時短」も関連しているのである。つまり、渡部氏が論述している「ロボット革命」である。外国人労働者の締め出しと合い間って、この「時短」もロボット開発の重要性を関係者に促し、その開発は速度を速める結果となった。かくして、トッテン氏の警告する「ある特定のアメリカ人達」の罠は自らの墓穴を掘ることに繋がっていくという運命になったのではなかろうか。嘗ての、「オイルショック」「ドルショック」と彼等が仕掛けたと言う罠を日本人は次々にクリアしてきたように、この「時短」が罠であったとしても、「歴史的パラドックス」として、我々日本人は笑って済ませることになるのではなかろうか。この「時短」の騒ぎで、日本人労働者にとって、有益なことが起こった。それは、私が働いていた教育現場の出来事であった。それまで、教師には「残業手当」なるものは無かったのである。勤務時間を越えても、生徒の補習もさることながら、放課後のクラブ活動の指導等を無償で行ってきたのである。それが、この「時短」の騒ぎで、一律に「勤務外手当」なるものが支給されるようになったのである。しかし、本書でトッテン氏が言及した警告の中で、一目も二目も置かなければならないものが幾つかある。
 


 トッテン氏は孔子の言葉「小人閑居して不善をなす」という格言を引用して警告している内容である。「暇になって何をするというのか」というのである。良識ある日本人はともかく、大衆はどこの国でも同じで、「ろくなことをしないだろう」と心配される。アメリカでは麻薬が円満していた。「日本も同じ過ちを犯して欲しくない」という忠告であった。
 「大接戦」の著者・レスター・サロー氏(マサチュセッツ工科大学教授)の言葉「人生の達人は、仕事と遊びを区別しない。・・・何でも目の前にあることを精一杯やる。それが仕事に見えるか、遊びに見えるかは、他人の目に任せておけばよい。本人は、いつでも両方だと思っている」を引用したトッテン氏は、既に、その心境に達しておられるように見受けられた。
 戦前までの、日本の教育はおおむね「論語」など儒教的教育で、国家や社会に対する責任感とか、義務を教えていた。しかし、戦後はアメリカの価値観を輸入し、社会から取る権利、個人主義等で、国家や社会に対する責任を見失い、自分勝手な悪い面が出てきたという。アメリカによって作成された日本国憲法の中には、「権利」が二十二個もあるのに対して、「義務」という言葉は二個あるに過ぎないという。この意味から、日本人が心しなければならない問題が多々あることは事実であると思う。
 アメリカの価値観は非人間的であり、金権主義であり、奉仕の精神や信頼の精神に欠けているという。又、アメリカの絶対的信条であるはずの民主主義をも、今やアメリカの足を引っ張っているものになってしまったという。
 アメリカは、労働者の為にと思って、法定最低賃金制を施行した。しかし、経済の論理は、私が滞在していた一九七五年当時、アメリカ人国籍を持たない不法移民を雇用したり、コストの安い地域へと生産工場を移転させることが初っていた。よって、能力の伴わない大衆は職を失ってしまった。日本はアメリカの圧力に屈して「大店法」を改定してしまった。それまでの「大店法」の規制は、能力の乏しい人でも日本では生活していく道が確保されていたというのだ。
 トッテン氏によれば、「生産性が全てではない」という。「社会そのものが国民に役立っているかどうか」がより大事だし、その点で日本の社会は国民に相当役立っているという。
 我々が、弊害と考えてきた年功序列や終身雇用制は非常に人間的であり、アメリカでもその利点に気付き始めている人も増えているという。残業制度は怠け者を助長し、能率給は胡麻すり者に得をさせる等々、著者の忠告は尽きない。
 また、日本人の良さは数限りなくあるが、日本人はそれを海外の人にも教えてやるべきだとも忠告されている。
(ビル・トッテン著・光文社・七四〇円)

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