「日本とは何か」(書評集)
宿谷睦夫著

M「グローバル・ヘレニズムの出現」
入江隆則著


M「グローバル・ヘレニズムの出現」

 平成四年十一月、日本の繁栄とその成功哲学が、これから世界の模範となるであろうと予言する書物が俄に増えてきた。「それでも日本だけが繁栄する」黄文雄著、
「転機に立つ日本」ビル・トッテン著、「かくて歴史は始る」渡部昇一著等がその一つである。発刊の順序で並べてみたが、著者はいずれも、台湾・アメリカ・日本を代表する見識者の方々である。これらの著書に学ぶことは、計り知れないものがある。そして、日本の多くの識者も見過ごすことはしなかった。
 出版から一ヶ月もしない毎日新聞(平成二年六月十八日付け)の読書欄には、先ず、山折哲雄氏の書評が掲載された。
 山折氏は、本書の特色として次の二点を上げていた。第一点は日本の政治文化の特質が柔構造としての天皇制にあり、経緯と権力の分立という二元体制にあって、江戸時代における朝廷と幕府との関係は明治以後も受け継がれ、戦後においても自民党幕府と天皇という二元体制の中にそのまま活かされたという。第二点は、「江戸時代」に内包される未来性を、文明の新しいパラダイムとして普遍化していこうと提言したものだという。そして、平成三年四月からは、月刊誌「VOICE」で、「治者としての日本」と題して世界の江戸化の理論が具体的に掲載されることになった。(後日、「日本がつくる新文明」講談社・一六〇〇円として刊行される)
 さらに、この連載が竹村健一氏の目に止まり、「世界中でこんな発想を提案した人はいない」といって、当時、フジテレビG日曜八時からの「世相を斬る」にも出演されることにもなった。竹村氏が注目した提言とは、「日本は資源の無い国であるが、宇宙の小惑星からそれを調達したらどうか」というものであった。テレビの影響は素晴らしいものである。入江氏の著書は完売となったばかりか、自宅の電話は鳴りっ放しになったという。その為に、入江氏との電話はおろか文通もそれ以来途絶えてしまった。有名人の宿命であるのだろうか。私のような知名度の無い者でも、一昨年(平成十九年五月)アメリカで「百人一首英文折句集」を刊行した。それだけでも、私のコンピュータメールには一日に百通を越える迷惑メールが飛び込んでくるようになった。
 未だに、日本は世界のリーダーシップはとれないと尻込みしている自虐趣味の日本人は多く、アメリカの日本研究者の中にも、「哲学を持たない日本人に世界を指導することは出来ない」と言い切る人もいるという。そんな状況の中での著者の提言は日本の言論界へのインパクトは大変大きいものがあったことが想像出来る。日本語の表題はややソフトではあるが、英語名は「エドニゼイション・オブ・ザ・ワールド」であるから、直訳すれば、「世界の江戸化」である。しかし、江戸から全ての指針を引き出そうというものではなく、外国から学ぶものはいくらあってもよく、所謂、日本主義を振りかざすものではないことは著者の強調する所でもあった。
 著者のこの提言の試みの中で、最も注目すべき所は、世界の中でも「日本が先ず、アメリカを助けなければならない」と指摘している所である。しかも、多くの人が当然と考えているような技術的、経済的、金融的援助、例えば、工作機械、半導体、コンピュータ、ロボット技術の分野や長期債で資本収支を助けることではなく、それ以上に必要なのは、「拡大する西欧世界最後のチャンピョン・アメリカがその集合的無意識の中に秘めてきたデーモンを鎮め、偏執狂から抜け出す途を示してあげる」としている点である。これは日本だけが成し得ることであっても、今の所日本人もアメリカ人もその可能性に気付いていないと指摘している。つまり、アメリカ人は日本人を指導するのは大好きだが、逆に指導されることを嫌うし、他方、日本人は自分自身を哲学の無い民族だと誤って信じ込んでいる。言葉で述べられた体系だけが哲学だと言うのは誤った見方で、人間は言葉によってのみならず、歴史や制度や行為によっても語る動物であるという。控えめで、謙虚で、無口な日本人は日本歴史の伝統の中には、アメリカ人の持つ偏執狂を癒し得る価値観が潜んでいるのだという。それを「江戸化」と呼んだのである。この入江氏の指摘に気付いている海外の識者は既に少なくはない。前述した、「それでも日本だけが繁栄する」の著者・黄文雄氏、「転機に立つ日本」著者・ビル・トッテン氏を初め、「ウエイクアップ・ジャパン」の著者・ジョージ・R・パッカード氏等が挙げられる。さらに、日本人の識者の中でも、入江氏と同調するする識者も少なくない。すでに、前述した「日本の繁栄は、揺るがない」の著者・渡部昇一氏もその一人である。・渡部氏は歴史的にそれを説き起こし、今後少なく見積もっても二五〇年は日本の時代が続くことを予言している。
 著者・入江氏は嘗てのイギリスやアメリカとは違った意味でのリーダーシップを日本が発揮しなければならあにことを、この著書の中で次のように示唆している。
 「今日の日本は、産業革命後のイギリスにも比すべき経済・金融大国である。当時のイギリスがその実力に見合った自覚と政治力を備えて、世界に目を配ることが世界の安定要因だった事実に、日本は学ぶべきだろう。
現在の日本は少しずつ、当時のイギリスに似た役割を引き受けねばならない状況になりつつある。今日の日本は、決意次第では、かつてのイギリスが疲弊したオーストリアと混迷のフランスを補佐しながら、よくプロイセンの野心を挫き、ロシア帝国の南下を阻止し続けたような役割を果たせない訳が無い。そういう可能性に思い至らず、国際政治の中で常に受身の存在であるのは、日本の悪徳だと言える。NIES諸国、ASEAN諸国、ヨーロッパ、アメリカの有識者が一致して日本に期待しているにも関わらず、当の日本が未だに十分認識していないのが、この点である」

先に、山折氏は「柔構造としての天皇制」を本書の特色の一つに挙げていたが、本書の中では、松崎哲久氏の論文「改革システムとしての天皇制」(「正論」一九八九年三月号・産経新聞社)を高く評価され、「天皇が一貫して世俗権力から一線を画した『上位の権威』であり続けたことが、日本の政治変革をスムーズにさせた所以だとし、十六世紀の強大な海洋パワーであるスペイン、ポルトガル、新興パワーのイギリスやオランダの野心に乗じられずに安定政権を作るのが可能だったのも、『改革システムとしての天皇の機能』が働いたため」との見解に同調されている。さらに、「今後天皇がかかる機能を発揮するために、@連続性、A無答責性、B純粋性の必要をあげ、特に純粋性を失わないために、天皇は現実社会に身を置かないこと、つまり、通俗的にならないことが重要だ」と松崎氏が指摘している点にも賛意を表されている。本文では「神皇正統記」の著者・北畠親房への賞賛も著しい。本書には次のように綴られている。
「この書物(「神皇正統記」)の優れた点は親房が日本の政治制度の利点と美質をよく理解して、それを強調しながらも、それが決して排他的なものでもなく、ましてや他国に強制するべきものでないのを自覚していたところである。」
しかも、二十一世紀のイタリアの碩学者・グリエルモ・フレーロは政治理論(政治形態を「正統政治」と「簒奪政治」に分類し、前者を「正統王制」「正統民主制」に分類した。)から、自国の王制が正統であることは、人民にとってなにより幸福な「神の贈物」だと述べているとし、親房が日本の王制が「正統」であり、インドや中国に比較して幸福だと説いていることから、親房はフレーロの考えと同じ説を六〇〇年前に説いた先見者と讃えている。
筆者も同感するところが多いが、天皇の純粋性は松崎氏の指摘する「天皇は現実社会に身を置かないこと、つまり、通俗的にならないこと」とは関係無しに、「天皇本来の務め」(白川伯王家に伝承されてきた「拍手神拝の式」に則り、神を迎え神を礼拝して、その時々の神意を伺い、冷泉家に伝承されてきた作歌法「古今伝授」に則り、伝統和歌を詠むことによって国民にその神意を伝える)を遂行されることが重要であると考えている。しかし、未だに、その方面の識者にその認識が得られていないことが残念なことであると思っている。
 


 それはさておき、著者は「江戸」が世界の模範となり得る特色を三つの柱で捉えている。第一は、江戸は日本列島という閉ざされた空間の中で、平和を維持するのに成功したということ。第二は、超越的価値観や理想を振りかざしてリーダーシップを発揮するというやり方ではなくて、あらゆる対象の「解釈」に徹した多元的世界を生きる智恵を見出した姿勢。第三に、二六〇年の中で色あせなかった武士的人間像と奢侈の中で貫かれた抑制の哲学等である。
 韓国の政治哲学者・金泰昌氏は民主主義に代わる未来の政治哲学として「生態哲学」を提唱されているが、著者とほぼ同様の方向性を持っているように思われる。つまり、「生態哲学」とは、「最高目標価値」=共福(人類が共に幸福になるという意味)は「最低基礎価値」=(平和)の上に達成されるものであるが、(共福)と(平和)の両者を結ぶものとして、「中間価値」=(自制)があるというものである。つまり、民主主義に代わる未来の政治哲学としての「生態哲学」とは、人間の互いの(自制)の基に、世界の(平和)を保ち、そこに(共福)が築かれるとするものである。すると、江戸は正に地球という狭小空間の中で人類が共に幸福に生存するための模範足り得るシステムを持っていたと考えることが出来る。
 この「江戸システム」の中で、著者が最も力点を置いていたのは、「解釈の王国」としての江戸であった。
 第二次世界大戦以後の日本が奇跡的回復を遂げてからずっと、日本は「顔」の無い巨人だと言われてきた。経済大国にはなっても哲学がないという批判があった。これは知日派と言われる日本学者の中にもいたという。彼等は「日本にはリーダーシップと哲学が無い」として、「二十一世紀は日本の世紀だ」という多くの人の予想を否定したという。著者は、これをも厳しく批判した。
 二〇〇〇年以上存続してきた国とその民族に「顔」が無かったり、「哲学」が無かったりするという考え自体が可笑しく、日本の石器時代は少なくとも数万年続き、農耕以前の文化として大変高度なものだったという説もあるからだという。
 しかも、現代日本語は世界の言語が四つに大別されるという「抱合」「膠着」「孤立」「屈折」の全ての要素を併せ持っていて、長い言語の歴史を持っている国に「哲学」が無いと考える説は受け入れられないという。
 確かに、儒教の「天」の思想、仏教の「無」の思想、ユダヤ教の「ヤワァエ神との契約」など、言語によって構築された超越的体系を日本人は作らず、又、信じようともしなかったが、日本人が採用したのは「解釈学」であったという。
江戸の「解釈学」として、本居宣長の「漢意と賢しら」、伊藤仁斎の「学問は活きた道理を看ること」等を引用し、宣長は「記・紀」、仁斎は「論語」「孟子」というテキストの規範性を一応肯定しながら、現実には解釈とその対象に関する柔軟性を保障しているという。
 この手法は、仁斎の学風に厳しく反発した荻生徂徠にも、史学の新井白石にも、蘭学の杉田玄白にも共通するという。
 ヨーロッパにも「言語によって構築された超越的体系」を相対化させた人類学者が登場したという。それは、クロード・レビ・ストロースである。それを著者は次のように綴っている。
 「レビ・ストロースの『未開の心』の出現によって、それまで野蛮人だと思って安心していた民族の文化が、質と構造に於いて、なんら西欧の文化に劣るものでないことが実証されるや、西欧文明はその普遍的・中心的性格を一挙に失い、数多い文化の中の一つに過ぎないものとなり、同時に近世以来、西欧人の行ってきたアフリカやアジアや南北アメリカ大陸での制服事業が、ことさらに忌まわしい悪魔の所業として突きつけられることになった。」
 「太平」に風化しない哲学として、著者は「鎖国」と中世以来の「簡素と倹約の美学」を挙げている。
 一方、著者は「鎖国」は外界との緊張をはらみ、又それを意識せざるを得ない体制だったともしている。更に、宝暦年間(一七五一〜六四)に書かれた伊勢貞丈の「貞丈家訓」は「堪忍」「倹約」「慎独」といった抑制の勧めであり、享保年間(一七一六〜三六)の山本常朝の「葉隠」にも共通しているという。
 このように、西欧的価値観との相対化と並行して、二十一世紀に明るい光明をもたらすものとして、江戸システムに焦点をあてた野心作が本書である。著者の論証は緻密であり、広範囲に渡っている。これだけ、幾つもの例証を引用した作品もまれであると思う。
 私がこの本を手にして感激したことは、前述したことに止まるものではない。著者は国内のみならず、海外に於いても、ご自身と同じ発想の著者とその著書を本書で紹介しているのである。それは、「日本化するアリメカ」(中経出版刊)の著者・ボイエ・デイ・メンテ氏である。書名でもお気付きように、「日本」を「江戸」に変えてみれば、その書名は「江戸化するアリメカ」となるであろう。デイ・メンテ氏のこの著書「日本化するアリメカ」の書評は、当書の別章で述べるが、彼は、日本の美点を数多く列挙する中に、その中心は、入江氏の論旨と重ねるものである。それは次のような指摘である。
 「美的審美感の涵養です。千年以上に亘って、日本人は美を観賞することを日常生活の一環としてきたと言うのです。日本人は日本人であるために、美というものを学び、習慣づけてきたと言うのです。日本人にとって美のモデルと基準というものは、自然あるいは自然を示唆するものに限ります。そして、その行き着くところに、質素・倹約があるのです。」
本書の意図は、日本について広い心を持つこと、新しい考え方や解釈に対する理解力を持つこと、日米関係の見方を広げること、日本に対してもっと前向きな姿勢になることをアメリカ人に刺激を与えることにあった。又、
徳川時代の終わりに日本人が味わったように、アメリカ人をも一新する時が必要だ。アメリカ人の倫理的・道徳的基盤を一新し、社会制度全体を再構成すべきだ。日本文化の多くの側面を大胆に取り入れることがアメリカ文化の一新に繋がることになるのだと述べている。
(入江隆則著・日本教文社刊・一九〇〇円)

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