「日本とは何か」(書評集) 宿谷睦夫著 |
L「それでも日本だけが繁栄する」 バブル経済の崩壊、株の損失補填、株価の暴落と悲観的なニュースが飛び交った当時(一九九〇年代)、ある日の新聞に「東証一時一五〇〇〇円割れ」と大きく報道された。株価の暴落により日本全体の損失は二〇〇兆円にも上るという。しかも、「四〇年不況」以来の不振であると新聞は報じていた。 時世に疎い私でも、タクシーの運転手から「景気が悪くて、土曜日と言うのにお客さんがいない」というぼやきを聞くようになった。 そんな折に、友人から紹介されたのがこの本であった。 直ぐにでも読みたいと思っていたが、友人との話しに夢中になっていて、出版社等のメモを取るのを忘れていた。しかし、よっぽど読む必要のある本であったに違いない。二三日もしない内に、別の友人からこの本が送られて来たのである。 著者・黄文雄氏の見解は、日本の知識人が説いてきた自虐的歴史観を一挙に払拭させ、日本の美点を納得のいくように説明してくれているものであった。 極東の小さな島国・日本は、貧しい資源小国から経済大国となるシステムを開発したが、この「日本文明」は、二十世紀最大の発明であり、世界の日本化現象は、止まることなく、日本の繁栄の時代はこれからであって、「日はまさに昇り始めたばかりである」と主張されている。 黄氏の文明史観は、歴史は物本主義から始って資本主義、人本主義の時代へと進展するというものである。 日本はそれぞれの時代に即応して対処してきたし、来るべき人間中心の時代に備えて、「技術力」「政治的自由」「市民的教養」と言った社会的資源を重視し、一九八〇年代当時には、それらを十分に世界に供給出来る体制が出来上がっていたと見ておられた。 欧米の視点から解析する人の多くは、日本文明を@「異質性」、A「特殊性」、B「閉鎖的」、C「排他的」と見てきたと思う。しかし、黄氏は全く別の見解を持っておられる。つまり、日本文明こそ@開かれた文明であり、A総合的で、B融和性が強く、C排他的ではなく、日本ほどD積極的に外来文化を取り入れ、それを逸早く吸収した類例を見ないと言う。その上、日本人はいくらつまらない事でも、一つの「道」として磨き上げる民族性を持っている。「日本文明」は今日の地球時代という背景の下で、西洋技術文明の完成者として開花したという。 日本人は勤勉だったから繁栄したという人もいるが、中国の農民はよく働くが、豊かな生活に繋がっていない。勤勉以外のファクターが必要なのである。その経済大国・日本を解くカギは何か。「漢字文化圏」とか「儒教文化圏」とかを文明繁栄のカギと説く欧米の学者もいるが、中国や韓国の停滞を説明することは出来ない。黄氏はそのカギを「神道思想」にあると言う。 日本人は@寛容性とA包容力を持っている。それを育てたのが神道の伝統であったと見ている。日本人の中には、神道というと「国家神道」を連想し、拒否反応を示す者もいるが、神道は長い歴史を経て、日本人の思想に織り込まれ、日本人の血と肉、日常生活の原理となっているものと捉えておられる。神道の批判者も日常生活の原理を否定出来ないのだという。 確かに、「国家神道」を形成した人々は、欧米的イデオロギーに触発されて、その発想から神道を独善的で排他的イデオロギーに歪めてしまったのである。このことは私も常々言及してきたところである。私の場合は、古事記や日本書紀以前に記された「秀真伝」という古記の発見によって知りえたものであるが、黄氏は現状の日本を観察される中から分析されておられるところに敬意を表するものである。 日本が稲作農耕国家から、今日の経済大国へ急変身した理由は、日本列島に昔から存在していた神道の発想が基本的に働いていると言うべきであると結論されている。 |
キリスト教や仏教のような世界宗教、また中国では儒教や道教には至聖という教祖がいる為に、神道のように時代と共に発展することが出来なかった。神道は、これら高等宗教が時代と共に、年を取って行くのとは違って、あらゆる宗教や文化と遭遇する度に、常に原始に立ち戻り、生まれ変わってきた。何時も清清しい宗教として、時代の精神的拠り所として再生して来たと言う。 原始宗教は通常、高等宗教の流入によって、吸収されて消えていく運命にあるのに、神道には、逆に高等宗教を飲み込んでしまう、驚くべき神通力が潜んでいるというのだ。 世界宗教には教祖がいて、教義や教典があって、普遍性を持つが、ドグマの遵守が強制される。 マルクス主義もその傾向があった。高等宗教は創設された頃には、革新思想であっても、ドグマが絶対的であるために、時代の変化に対応できず、やがて保守的な思想に転落していくのが常であるが、神道には、世界宗教のような思想体系がない。そこで、いつまでも固有思想や伝統教義に捉われることもない。いつもその時代の生活の需要に対応してきたので、思想と行動は必然的に「前向き」であった。だから、いかなる時代になっても、神道は「前進的」な思想として、その時代の革新性を推し進める原動力となってきたという。 「日本文明」の寛容性と創造力の根源は、神道の革新性、つまり、ドグマに捉われずに、常に新しいことを理想とする神道の信仰と習合原理から来るものであろうという。 中国のような「二者択一式の論争」もなく、韓国のように「過去に拘ること」もない性格が今日の発展を可能にしたという。 日本人は欧米からのエコノミック・アニマル批判を警戒しているかもしれないが、黄氏の目から見ると決してそうではないという。たとえば、華僑―香港人、シンガポール人には「飲み、賭つ、遊ぶ」という文化しかないが、日本人のような「民謡」も「踊り」も無いという。日本人は心の繋がりを重んじ、「以心伝心」によって「和」の社会を造ってきたという。 この著書は、自虐的になっている日本人が此迄に見落として来た美点を余すところ無く甦らせてくれているように、私には思われた。 一九七五年代、一ドルは三〇〇円だった。そして、池田首相の政策は「所得倍増論」であった。賃金は見る見るうちに上昇し、就職難は求人難へと変わっていった。外国からの多大な投資が行われ、土地の値段が急騰していった。所謂、「バブルである」、この時、一五〇兆円の外資が投入され、各地にビルが立ち並び、会社には設備投資が行われると、投入されたその一五〇兆円の外資は次々に引き上げられていったという。所謂、「バブルの崩壊である」、このバブルの崩壊の仕掛けは日本だけに仕掛けられたのではない。韓国を初め、アジアにも仕掛けられた。しかし、今、日本は八〇〇兆円を越える借金によって国家予算がたもたれているが、他国に依存することなく成り立っている。アメリカはクラィスラーに続いて、GMが倒産する事態になった。世界が不況に喘いでいる中、「日本は逸早く立ち直り、二〇五〇年まで、世界の経済・文化の中心になる」と予言する識者もいる。 (黄文雄著・光文社刊・八五〇円) |
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著者・宿谷睦夫のプロフィール |
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