「日本とは何か」(書評集)
宿谷睦夫著

K「日本を叱る」
谷沢栄一著


K「日本を叱る」

表記の著者・谷沢栄一氏に注目するようになったのは、テレビ対談でのことであった。歯に衣着せぬ率直な意見が出ることで、聴いていて大変痛快でもあった。さらに、平成五年三月、東京で開催された「時の課題シンポジューム」でパネラーとして身近にお話を伺った。そんな折、本屋の店先にあった表記の著書に目が止まったのである。 常々、碩学者としても評論家としても尊敬している方に、上智大学名誉教授・渡部昇一氏がおられるが、この著書を読んでいて、渡部氏が折に触れて語られておられる賢者を発見した思いがした。一言で言ってみれば、インテリジェンスというよりはむしろインテレクトの方が強い持ち主であるということだ。
 先生は此迄にも幾つもの予言を的中させてきたそうであるが、当時のソ連崩壊の予言もその大きなものの一つであったそうだ。政治・経済・教育等多方面について論説をされているが、それぞれを拝見すると、極めて的を得た解析であった。しかし、先生は我々読者の知り得ない情報源を持っているわけでもなければ、何人もの秘書や事務所を構えて情報活動をしている訳でもないと言う。
 我々読者と同じ次元にいながら、色々な分野に関する事柄に適切な分析を試みることが出来ている訳である。
 先生は、大学教授として研究者・学者としての道を歩んでこられた方であるが、まず教育面特に大学の研究者の此からの在り方について次のように語っておられた。
 「自分の興味のある領域において、何でもいいから物事を徹底的に詮索すること。つまり、好むと好まざるとに関わらず、目的、効用を問わないというのが、今の時代における学者にとっての唯一の生きる道ではないか」
 これらの結論の背景には、型にはまった学問が成立する社会は、明らかに後進国であって、後進国を先進国のレベルにまで引き上げる為に、先進国の事例を後進国の一般人に伝えるのが、学問の役割だからだと言われる。ところが、当時既に、日本は超先進国になってしまい、日本の明日を占うのに、他国のどこかで終了した事例を参照にすることは不可能になったというのだ。逆に、今、全世界の心ある学者は猛然と「日本学」をやっているというのだ。この傾向は今後益々盛んになるという。世界のトップを走るようになった日本は当時(一九八〇年代)においては、一九世紀に成立して二十世紀に発展した人文社会系の学問は、何等かの前向きの指針、矢印を指し示すような動態的な学問としては成り立たなくなったという現状があるからだという。
 谷沢氏は大学改革についても、ずばり明快な改革案を提唱されている。大学の機能には講義と演習があるが、その内の講義を全廃すべきだと言われる。かつて、学問とは原書を読むことであった。しかし、昔は原書を読める人が少ないことと、その本の部数が少なく且高価で、一般学生全ての手元に置くことが出来なかった。ところが、現在はその障害となるものは見当たらない。現在は、ちょっと勉強すれば外国語は読めるようになる。たとえ、語学に堪能にならなくとも、翻訳書が出るのが早い故に、講義の必要がないというのである。
 政治についても、的確な見解が数多く見られる。政治でも、実業でも、どんな立場の人にとっても、これから二十一世紀を雄雄しく生きる智恵が満載されていると言ってもいい。何時の時代も同じだが、当時も、一般に先見性が必要だと言われてきた。ところがどうであろうか。「東西冷戦の終結」「東西ドイツの統一」「湾岸戦争」等どれをとっても、一つとしてそれを事前に予測し、発表出来た人間はいなかった。そうしてみると、これからは即応型の人物が要請されているということである。教養主義も色あせてきているという。
 体系的な学問が終結し、体系とか学問とか理論とかいったものが意味を持たなくなって来たというのだ。教養とか学問よりも、@「鋭敏な神経」、A「研ぎ澄まされた感覚」、B「適応能力」、C「即決の意欲」、そして、D「豹変を厭わず、むしろ積極的に豹変していこうとする前向きの姿勢」が求められているという。
 


 外交についてはどうであろうか。当時の湾岸戦争を考えてみた時、「イラクのフセインはアメリカに嵌められたのだ」とずばり言明されていた。つまり、世界の外交関係は残念ながら、戦国時代さながらであり、謀略が横行しているわけである。フセインの行動は日本から見ていると「狂気の沙汰」と映るであろうが、中東地域では他国を侵略し、現在なお居座っているというのもさほど異常な現象ではないのだ。日本の戦国時代を思い浮かべて見れば直ぐに想像がつくはずである。フセインがクエートに攻め入ったのも、実はアメリカの大使に了解を取り、クエートが取った無断石油発掘を阻止しようとした行為であり、もともと、イラクもクエートも支配者は近親者同士なのである。
 アメリカがイラクを嵌めた手口は、「相手にとことん嫌がらせをして、向う(イラク)から先に手を出すように仕向け、相手に一発殴らせておいて、それに対する自衛手段と称して、一気に相手を叩き潰す」という手法で、強者が弱者を抹殺する時の常套手段であったという。太平洋戦争も、こんな手口で日本はアメリカに嵌められていったのかもしれない。ヤクザから堅気になった作家の阿部譲治氏は著書で「アメリカがイラクを攻略した手口はヤクザが弱者を抹殺する時の常套手段である」と述べていた。
 しかし、世の中は不思議なものである。日本を嵌めたはずのアメリカは、戦後から現在に至るまで、日本に奉仕して来たと見ることも出来る。
アメリカが日本をアメリカ化していこうとしたそもそもの歴史は、1854年ペリーが黒船を率いて来航し、3月には神奈川条約(日米和親条約)が調印した時に始ると説く人もいる、アメリカの畏友・ボイエ・ディメンテ氏である。しかし、多くの人の目には、この年は日米関係の始まりの年としか映らなかったでしょうが、著者は「両国の役割が事実上逆転することになる始まりでもあった」と見ているのである。
 当時、アメリカの中では日本を敵国視するリヴィジョニストの喧伝が問題になっていた。一方、日本でも再びアメリカが日本を叩き潰すと心配する人も多くなっていた。私はこんな時、諸葛孔明の次の言葉を思い出す。
 「事を謀るは人であるが、事を成すは天である」
 これは諸葛孔明が宿敵・司馬仲達を火攻めに追い込み、成功したかに見えたとき、雨が降ってきて司馬仲達が一命を取り留めた時に放った名文句である。
 たとえ、アメリカがどんな理由からか、日本を陥れる罠を仕替えようとも成功することはないと思っている。もし、それが成功するようなことがあるとすれば、それは日本人が、アメリカが日本に謀略をかけていると信じ込み、不穏な態度に出よとした時である。
 谷沢氏がこの著書に書き記した諸説は、多くの読者に感銘を与えると思う。結論的に要約すれば、「此れからの世の中で大切なことは、知識ではなく、着眼である」ということだ。まさに、谷沢氏はインテリジェンス=知識もさることながら、インテレクト=着眼の良さを豊富に持っている方であると言ってよい。
(谷沢栄一著・講談社刊・一三〇〇円)

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