「日本とは何か」(書評集)
宿谷睦夫著

J「嫉妬の世の中をどう生きるか」
邱永漢著


J「嫉妬の世の中をどう生きるか」

 当時、ある研究誌の依頼を受けて「秀真伝に伝わる伝統的倫理観」と題して、日本の古代人が培ってきた倫理観について所見を述べさせて戴いた。その倫理とは何であったかと言えば、表記にある「嫉妬を如何に避けるか」というものであった。秀真伝の中では天照神が「妬み妬まる/みな咎ぞ」と言って、人を妬むことは勿論のことであるが、例え自分に過ちがなかったとしても、人の羨むようなことをあからさまにして、妬まれるようにすることも罪なことであると諭しているのである。私はこの論評の中で、「『人の妬みを回避する』というこの天照神の教えを日本は国家として、海外の諸外国に対して、如何に活かせるかが現在の大きな課題である」と結んだ。
 そんな感想を認めた矢先でもあったので、本屋の店先にあった表記の著書に目が止まったのである。著者は邱永漢氏である。お金にはあまり縁の無い私にとって、邱氏の著書を拝読させて戴いたことはまだ一度もなかった。しかし、さすがはベストセラー作家である。私の関心のある内容の本であったこともあるかもしれないが、とても読みやすく説得力に富んでいて、一気に読み終えてしまった。
 この著書は、二十一世紀に向けて日本が何をしていかなければならないかを親身になって説き起こした日本人が傾聴すべき、優れた日本論であるように思えた。
 日本の識者でも、まだ認識出来ていない書物を外国人に求めるべくもないが、邱氏は失礼ながら、日本の古事記以前の書である「秀真伝」の存在をご存知ないものと思う。「秀真伝」は日本人が自分の行動様式を理解する上で、大変貴重な古書の一つである。「秀真伝」を偽書として避ける人も、特に識者と言われている人の中に多いことも事実である。しかし、その人の意見をよくよく聴いてみると、「食わず嫌い」が多く、人の受け売りである場合が多く、よくても、誤訳の多い訳本や解説本から判断している場合が多い。
 偽書の真偽はともかく、「秀真伝」に書かれている内容が日本の指導者の理念であったならば、明治以来の日本が取って来た「覇道的外国侵略政策」は有り得なかったと私には思える。
 明治維新を成功させた原動力の思想的背景は何と言っても、吉田松陰の唱えた古事記に基づく「三大神勅」であったと思う。自分の国の伝統や皇室の先祖を尊崇する気持ちは人間の自然な心映えであり、戦前の日本人であれば、当たり前のことであったようだ。戦後になって、その自然な心映えを失った人が多くなったと言われる。私なども、差し詰めその部類に属する。しかし、最近、西洋占星術で、日本の運命を占ってみたところ、畏れ多くも平成天皇であられる明仁殿下の星で占うこととなった。評論家の木村尚三郎氏は著書「日本という存在」の中で、「日本は二〇〇五年に最盛期を迎える」と予言している。その時に日本で「万国博」が企画されていた。なんと明仁殿下もこの年に運勢の最盛期を迎えられていた。
 戦前までの日本の国是を立てた指導者の精神的な拠り所となったものは「三大神勅」であったと思うが、これをよくよく検討してみると、これは極めて権威主義的であり、排他的で寛容性の無い非日本的なものであることに、「秀真伝」と比較して見て、当時初めて気付かされた。愛国者の最も拠り所とするべき「三大神勅」の中に、実は対立を生み出す元凶が隠されていることを、「秀真伝」の伝承は暴き出していたのである。
 日本のアイデンティティが求められ、「温故知新」の諺から、日本が再び古事記や日本書紀を日本精神の拠り所とするようなことがあるとすれば、アメリカを始め世界の多くの国々と対立していく道を再び歩むことになると私には思われる。海外からの、日本のナショナリズムの復活の懸念もこんな所に潜んでいるのではなかろうか。
 ここで、断わっておきたいが、私は古事記や日本書紀の価値を否定して、「秀真伝」を全面的に評価するつもりはない。歴史を正確に書き記すことなど出来るはずがないからである。

 


 私は「秀真伝」をその歴史観に於いて評価している。また、「秀真伝」では皇祖であられる天照神(あまてるかみ)が如何に国民を慈んででいたかという心情を切々と伝えているという点で高く評価したい。しかし、それに引き換え、古事記や日本書紀に描かれている皇祖・天照大神(あまてらすおおみかみ)は国民が恐れ慄く偉いお方という印象が強く、親しみとか愛おしいという情感が沸き起こってこない。
「秀真伝」では皇祖であられる天照神の国民への様々な諭も含まれている。その教訓というべきものの一つが、この邱氏の著書で説く方向と一にしているのだ。私はそんなところから、この著書に共感したのだ。
 その第一が、表題にもなっている「嫉妬を避けよ」という教訓である。邱氏は「お金の無い振りをするのが一番だ」と言う。
 一般的に言って、我々国民は、政治家と言えば、「陰で汚職でもしているのではないか?」という印象をマスコミによって植え付けられてきてしまったのではなかろうか。しかし、邱氏は「日本は汚職の少ない国である」という。「全く無いとは言わないが、東南アジアや中国大陸に比べると、日本は政治家も役人もずっと潔白だ」と断言される。邱氏のお話だと「三国志」や「水滸伝」に現れる役人もまんざら虚構ではないことが伺える。
 邱氏は台湾生まれの中国人ではあるが、小学校の時から日本で生活し、東京大学まで出ている。むしろ、我々日本人以上の日本人である言っても過言ではない。
 著書「日本人の脳」(大修館書店刊)の著者・角田忠信博士によれば、「日本語を六才から九才までに学習した者は、例えそれが、日本人以外のどの人種の人であろうとも、虫の音や小川のせせらぎのような非言語情報でも左脳で処理している」と定義し、脳幹のスイッチ機能が日本人その者になってしまうという理論に基づけば、人種は中国人であっても、脳の働き、即ち物の考え方や行動様式は日本人以上の日本人である言っても過言ではないのだ。特に、日本人独特の言葉の言い回しの違いまで熟知しておられる。日本語に男言葉や女言葉があること、人称表現でも対人関係によって大きく異なることなど、著書の中にふんだに盛り込まれている。例えば、「あなた」という言葉である。自分より目上の人に対しては、「あなた」と直接呼びかけることは失礼であると教えても、なかなか納得してもらえないとのことだった。こうした混乱はガイジンさんの間だけでなく、日本人の若い人にまで及んでいるという。多分、日本語もロクに覚えない内から、英語のYOUとIを直訳して、「あなた」と「私」と言ってしまうようになったのかもしれない。
 「日本の文化は相手の感情に合わせて作られた文化である」と大変評価している反面、これからの海外との融和の為に改善しなければならない側面を数多く指摘して戴いている。欧米の識者の日本論とは違い、歴史的な関係の深いアジア人の識者の意見に我々日本人はもっと耳を傾けるべきである。又、日本の見直しを考える時、その精神的原点の拠り所を記・紀から、「秀真伝」へと切り替えて戴くことを切に望むものである。
(邱永漢著・中央公論社刊・一三〇〇円)

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