「日本とは何か」(書評集)
宿谷睦夫著

I「アメリカ人の日本観」
シーラ・ジョンソン著


I「アメリカ人の日本観」

 表記の著者・シーラ・ジョンソン女史を初めて知ったのは、産経新聞・平成五年二月二十一日号の正論欄であった。それには当時の日米問題に関する見解が述べられていた。女史はこの中で、当時、ベストセラーになったマイケル・クリクトン著「ライジング・サン」がアメリカの対日政策を最優先させる目覚しい役を担うことになるかもしれないと指摘していた。
 ニューヨ−ク・タイムズの書評ではハーバード大学のロバート・B・ライシュ教授が「日本への恐怖をいたずらに煽る事実誤認だらけの無責任の本」と批評を載せていたが、女史は、この本は読者を日本たたき屋や保護主義者にしないで、レヴィジョニストの見解を伝える為に、真剣且つ責任ある配慮をしていると分析していた。
 女史は、此迄にも、米国内で人気の高かった小説やノンフィクションの中に現れる、米国人の対日態度の追跡に長いこと興味を持って来たようである。それがこの著書になったのである。その中で、エリックバン・ルストベーダー著「忍者」(一九八〇年)「巫女」(一九八四年)やクライブ・カッスラー著「ドラゴン」(一九九〇年)は日本の経済手腕に対するアメリカ人の恐怖の増加を正確に反映しているが、これらは金切り声、偏執症的な調子や筋書きであって、嘆かわしいものであったと評していた。それに対して、当時話題を攫った「ライジング・サン」は高く評価したようである。これと前後して、読売新聞平成五年二月十九日号の「論点」に、東京女子大学教授・猿谷要氏は「対等関係に不慣れな日米」という見出しの小論の中で、シーラ・ジョンソン女史の著書を引用して、次のように書いている。
 「・・・文化人類学者・シーラ・ジョンソン女史は、一九八六年の著書『アメリカ人の日本観』の中で、『成長した息子へのコンプレックス』と、実に巧みな表現で屈折した感情を言い表している。・・・」
 私は、前述の産経新聞・正論欄とこの「論点」の記事に触発されて表記の著書を読んでみようと決心したのである。
 著者・シーラ氏は、日本研究家で有名なチャルマーズ・ジョンソン氏のご夫人で、ご主人の日本研究に刺激を受け、尚且つ、日本滞在の経験もあったので、日本について書くきっかけを得られたようである。
 女史は、ご自身でも言っておられるように、日本に関する専門家ではない。しかし、それがかえって日本のかなり正確な姿を浮き彫りにすることが出来たように思う。
 此迄に、色々な日本論が出されて来たが、女史はそれらを総括的に紹介しながら自分の意見を吐露していた。
 女史の結語には「日本人は興味深い、才能に恵まれた国民であり、私達アメリカ人がそうであるように、実に多様で、変化に対応出来る国民である」と結んでいる。つまり、「日本人の特色を殊更に取り上げて、好ましくないイメージを作り上げることを良しとしない」という態度なのである。
 日本人は集団主義的で、家族的結び付きが強いというが、それに反してアメリカ人は核家族的で親子の絆が薄いということがよく言われるが、女史はこれを否定する。アメリカ人は確かに核家族的で親子も早い内に別れ別れに住む場合が多いが、殆どの家族は近隣に住み、休みなどがあれば、皆が一緒に過ごす機会を多く持つというのが、一般的なアメリカ人の姿であるという。
 つまり、ある国が他の国に対して、たった一つの紋切り型の認識を避ける為に、多角的なイメージが存在するべきだと主張されている。
「日本人は卑劣で残酷な国民だ」という批判は、おそらく第二次世界大戦の残滓であり、占領中に日本にいたアメリカ人なら「それも正しいだろうが、日本人は親切で大人しい人もいる」と言うだろう。十九六〇年代に日本を訪れた人なら、「日本人は芸術的で、精神的な国民だ」と言うだろうし、七〇年代と八〇年代の観光客なら、「日本人は精力的なヴィジネスマンだ」と感じているであろう。今、アメリカの世論が日本人に対して、やってはいけない一つの紋切り型の認識を作り上げよとする動きが無いわけではないという。
 


 ユダヤ・キリスト教的原理からすれば、何かが善で、何かが悪でなければならないというのだ。二重の赤字、失業、麻薬、エイズ等、アメリカの悩みは数知れないものがあった当時、その不満の賭け口を懸命に見つけようとしている人がアメリカの国策を決定する中枢部に存在しても不思議ではない。ジョージ・R・パッカード氏は著書「ウエイクアップ・ジャパン」の中で「日本が九〇%正しくとも、十〇%の間違ったところがあれば、十二分に日本を敵に造り上げることが出来るのがアメリカの論理である」と言っている。
 ソ連を敵にし、ベトナム、イラン、イラクを次々に敵に造り上げてきたアメリカが、国民の不満の捌け口として日本を敵に造り上げることはいとも簡単なようである。
 当時、ある日の毎日新聞に東洋大学教授・山田利明氏が「体感した米国の対日感情」という見出しの記事の中で、日本人の無神経さを嘆いておられた。
 確かに、お金はあるのかも知れないが、高額な値段で競り落とした有名絵画、アメリカ人が国の誇りと思っているビル(エンパイア−ステートビル)や映画会社、はては野球球団を買収するといった一連の無神経な行為はアメリカ人の感情を逆なでしていたようである。
 しかし、一方、野球のWBCで日本は世界一の座に二回も上り詰めた。イチロウ選手がアメリカで感じたことは、「アメリカ人の日本人に対する侮蔑的態度だった」という。どんな素晴らしい記録を打ち立てても、「日本とアメリカは所詮大きな違いがあるんだ」という態度に激怒していた。そこで、日本の野球が如何に素晴らしいものであるかを、突きつけてやることだと述懐していた。イチロウ選手は自分に侮蔑的態度をとったアメリカ人選手に「WBCでの日本の世界一の座に二回も上り詰めたこと」をさぞかし、痛快な思いで突きつけてやったと思う。
 しかし、それはさておき、この本の目的の一つは、過去四十五年間のアメリカ人の考え方を形成して生きた幾つかの出来事について、要約・分析してみることによって、日本についてのより多角的な見方を促進することにあるとしている。
 最近、(二〇〇九年五月)、テレビで中国内陸部・四川省に於けるイトウヨーカドーの店舗拡大のニュースを垣間見た。日本では外資のコンビ二が盛況であるのに対して、中国内陸部では日本のコンビ二資本が進出しているのに驚いた。
 識者の予言によれば、アメリカは二〇五〇年以降、中国に於ける経済市場の独占を計画しているという。北京オリンピックの誘致もアメリカの采配の一つであり、チベット内乱の兵士を訓練したのもアメリカが手助けしたという。「マッチ・ポンプ」という諺がある。対立を仕掛けておいて、仲裁役にも買って出ることによって自分の立場を有利にもっていこうという手法である。
 「毒入り餃子事件」が発生したが、日本人は「人の噂も七十五日」という諺のあるように忘れていく。アメリカの目論見がどんなものであれ、動じずに生きるべきだ。
(シーラ・ジョンソン著・サイマル出版社・一五〇〇円)
 

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