「日本とは何か」(書評集) 宿谷睦夫著 |
@「ザ・ジャパニーズ・パワーゲーム」 平成三年十一月、いつものように新聞の一面の書籍広告の欄を眺めていると、表記のタイトルが私の目の中に飛び込んできた。副題に「アメリカのどこが、なぜだめなのか?」と書かれていたことが、私を強く引き付けたのかもしれないが、読んでみる前から何かわくわくさせられるものを感じていた。 本屋に注文して、一週間もすると手元に届いた。いつもなら、このタイプの本は目次を追って注意を引くような箇所から拾い読みしていくものなのであるが、この本に限って最初から読み始めた。普通は十ページも読み進んでいく内に眠くなって来る時さえあるものなのに、この本の場合は違っていた。読めば詠むほど引き付けられ、目が冴えて来た。 勿論、あたっていないと感じるところもあったし、言及されない分野もあることは当然であるが、日本及び日本人をここまで分析出来るものかと驚かされた箇所の方が遙かに多くあった書物であった。 この本を読んでいて、著者であるウイリアム・J・ホルスタイン氏は、本当にアメリカという国を愛している愛国者であると思った。この本はアメリカの再生を願って、アメリカ人の意識改革をもたらそうとして書かれた本に違いないと思った。 この本の中で、著者は日本を贔屓目に見ようとするものでもなければ、かといって日本を必要以上に非難したり、揚足をとろうとするものでもなかった。日本及び日本人、そしてその背後にある日本文化を極めて客観的に観察し分析しているように思った。 著者はこの著書の中で、日本の美点と思われるものは、たとえそれがアメリカの怠慢を指摘するようなことになるものであっても、それを素直に認め、むしろそれをアメリカ人が進んで学ぶように訴えてさえいるものであった。従来の西欧人には見られない、一歩上から見下ろすような素振りはまったく見られず、良いものは謙虚に学び受け入れるという、古来からの日本人の生き方に通ずるところさえあった。 まず最初に、印象に残った言葉は、「ユダヤ・キリスト教的倫理観では、人はまったくの友人か、まったくの敵かいずれか、なのだ。同時に友人でもあり、敵でもある、ということはありえない。しかし、日本人の心情では、これはまったく矛盾ではありえない。長期的にみて大きな紛争など生じない国の手本である。日本にとっては、ある次元では抱き合い、別の次元では戦うことはごくあたり前のことなのである」という言葉であった。 つまり、日本人の考え方は、ある部分では心から協力しあいながら、またある部分では攻撃的に競争する。だからといってそれがすなわち対立とはならない、そういう考え方なのである。日本人が「和して同ぜず」という君子の生き方をしていると、著者の目には映ったのだろうか。 アマコスト大使が「アメリカもそろそろ競争の側面に目覚めなければ」と指摘したことも高く評価していた。 日本人論の走りであるベネデイクト著の「菊と刀」の中に描かれている日本人の典型は、夏目漱石の小説に出てくる「坊ちゃん」であった。約百年前に見た外国人の日本人観とホルスタイン氏が、今この著書で述べている日本人観はまさに百八〇度転換してしまったと言えるのではなかろうか。しかし、日本人の中には、「坊ちゃん」を自分の理想像にしている日本人も多いかもしれない。つまり、ユダヤ・キリスト教的倫理観とさして変わるところのない倫理観を持って生活しているのではなかろうか。 日本人が戦国時代に活躍したような権謀術数に長けた人種と考えられたら、いたたまりも無くなるが、かかる倫理観は、狭い島国で、例え嫌なことがあっても、他所へ出て行くことも出来ず、また例え、嫌な人であっても一緒に暮らして行かなければならないために、止むに止まれず自然に備わった処世術であり、倫理観というものなのではなかろうかとも思う。 |
日本人は狭い空間の中で、多くの人々が生活して行かなければならなかったために、長い歴史をかけてその文化を築き上げてきたのであるが、今やアメリカは、日本が自国の最大のパートナーであるだけに、日本の歴史、言語、文化についてもっと理解しなければならないというのである。 日本とアメリカは極めて対象的であって、アメリカ国民が人類平等主義で、移民に対して寛容的で、個人を尊重し、自国の国際化を歓迎するのに対して、日本は秩序社会主義で、移民に対して排他的傾向にあり、集団を尊重し、民族の純粋性と国家のアイデンティティに支配されていると見ている。 「日本の価値体系の要諦は、自分の企業が生き残るよう全身全霊を傾けることである」とも定義している。 日本を綿密に研究した結果アメリカにとって日本がよきパートナーであるという側面と同時に、これからはよきライバルであるという側面で自らが変革されなければならない。アメリカ国民をもっと働かせて、貯金をさせ、組合とリーダーと企業の役員が短期的利害の違いを忘れて、より重要な長期的利益を目指すよう説得し、投資銀行がアメリカの資産を分割するのを思い止まらせ、何十億ドルという現金の上に胡座をかいている年金資金の管理者が十分先のことではなく、はるか遠い将来のことを考えるようにさせることがアメリカの再生に繋がるのではないかと考えている。 そして、個人もさることながら集団も尊重する生き方として、経済的愛国主義(エコノミック・パトリオテイズム)を勧めている。日本人のように競争はするが対立しない。このような彼の勧めがユダヤ・キリスト教的倫理観の国にどれだけ浸透するものか疑いは拭い得ない。 この本を読んでから十八年後の現在、アメリカはサブプライ問題をきっかけに、金融崩壊を起こし、世界同時不況を引き起こすことになったのである。 リーマンブラザーズという証券会社が住宅ローンを含めた新たな証券を開発し売り出したことに端を発している問題であるが、住宅の値段が何時までも上昇していくという前提で、その証券の販売を続けたことが大きな問題であったという。また、支払い能力の無い消費者にも最初、頭金無しの低金利で貸付し、その後高金利に変化していくという、いわば詐欺のような住宅販売が原因であったと言われている。この書評を書いている最中に米国の三大自動車メーカーの一つ、クライスラーが会社更生法を適用して倒産に踏み切ったというニュースがオバマ大統領から発表された。「脱・工業化社会」という本が発表されて米国では大人気となった。物を作ることを辞めて、マネーゲームで富を蓄えていくという発想である。その行き着くところに来たのが今の米国ではないかと思う。問題はそれを見習おうとしている現在の日本である。小泉内閣が構造改革の名の下に、様々な規制を緩和して、強者が弱者を同じ土俵で戦わせる社会制度を作ってしまった。この状況を如何に日本人は乗り切っていくのか、これからの大きな課題であるが、この著書は再考すべき日本の姿にヒントを与えてはいないかと思う。 (田原総一郎監訳・JICC出版局・二二〇〇円) |
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著者・宿谷睦夫のプロフィール |
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