「冷泉家の生活」 |
宿谷睦夫 |
第20回 日本比較生活文化学会 研究発表大会にて 平成16(2004)年11月28日(日) 日本大学理工学部駿河台校舎 1号館(2階) 「冷泉家の生活」(発表資料) 千葉日本大学第一高等学校教諭 宿谷睦夫 |
はじめに 第一章 定家が示した冷泉家の生活のモットー 〇「正月に門松を立てゝはいけない」(口伝) (人の羨望・嫉み・妬みを避けることを家訓に残した) 第二章 冷泉家の役割と歌 〇冷泉家の役割 天皇皇后両陛下を始め、皇子・皇族・公家百官への歌の作り方の指導 〇 歌に対する考え ∇1 歌の始まり ∇2 歌とは何か ∇3 芸術的短歌 ∇4 歌を詠む心 ∇5 定形の起源 ∇6 敷島の道 ∇7 歌の形 一、片歌(五七) 二、短歌(五七五七七) 三、長歌(五七・五七・五七…・七+片歌(五七五七七)) ∇8 歌人と呼ばれるには次の3つを兼備していること 一、作歌 二、即興 三、披講 第三章 冷泉家の年中諸行事(旧暦で行なっている) ∇ 一月 歌会始 ∇ 二月 節分 ∇ 三月三日 雛祭 ∇ 五月五日 端午の節供 ∇ 六月晦日 夏越の祓い ∇ 七月七日 乞巧奠(七夕祭) ∇ 八月二十日 黄門影供(小倉山会・定家卿の命日) ∇ 十一月晦日 秋山会(俊成卿の命日) 〇 七月七日 乞巧奠(七夕) 結び 講師紹介 |
「冷泉家の生活」 はじめに 冷泉家は明治以前まで宮中の公家諸般の行事の一つである天皇並びに皇子・皇族並びに公家百官の和歌の師範家として藤原俊成・定家親子より800年の長きに渡って和歌の指導に携わって来た家です。(因みに、本年(2004)11月3日(水)に俊成の菩提寺である東福寺において800年祭が執り行われた。)今回の私の発表はその和歌の師範家としての冷泉家の生活の概要を発表するものです。 その生活に一貫して流れているものは結論として、どの一面をとっても、和歌の創作とその披講(読上げ)と鑑賞があったということです。 それを一般の人でも理解するものにテレビでも放映されている「宮中歌会始」があります。明治までは、この歌会始には天皇皇后両陛下を始め、皇子・皇族・公家百官全てが天皇陛下に、陛下がご下問された「歌題」に基づいて歌を詠進しなければならなかったのです。陛下に詠進するわけであるから、いいかげんな歌を詠進する訳にはいきません。すると、どういうことが起きてくるかというと、皇子・皇族・公家百官全てが日頃から歌の作り方を修練していなければならなかったということです。そこで、その指導にあたったのが、冷泉家であったのです。 今回の発表では、冷泉家の年中行事の中で、その幾つかを取り上げて、その中で和歌との関わりがどのようであったかをご紹介することと致します。以上 参考文献 〇古今和歌集(小学館) 〇新古今和歌集(小学館) 〇歌論書(小学館) 〇冷泉家 歌の家の人々(書肆フローラ) 〇冷泉家 時の絵巻(書肆フローラ)〇バイリンガル月刊誌「プラザ・プラザ」〇「しぐれてい」(財団法人・冷泉家文庫刊)〇京極為兼(筑摩書房)〇 藤原定家(講談社学術文庫) 第一章 定家が示した冷泉家のモットー 定家が子孫に示したモットーの一つに、「正月に門松を立てゝはいけない」(口伝)というものがある。このモットーが平成の御世になってもいまだに冷泉家が屋敷とともに存続した理由の一つになったのではないだろうか。ではなぜ門松を立てゝはいけないと言ったのだろうか。それは「門松を立てゝきらびやかにしているとそこを通りかかった人々は皆うらやましがる」というのです。そこで、その嫉妬心を避けるために、「正月に門松を立てゝはいけない」と言い残したのだそうです。「古今伝授」と呼ばれる歌の作歌法の伝統は神代から始まって、柿本人麻呂、紀貫之を通して俊成・定家親子に受け継がれたのですが、家の存続繁栄をも定家は子孫に示していたことが伺えます。これはどこから学んだかは定かでありませんが、古記には天照神が岩戸から出てきた時に、「妬み妬まる皆咎ぞ」と述べられ、人を妬むだけでなく、人から妬まれるように振舞うこともまた罪なことなのだと悟られたと言われております。定家はそれを自ら実践したことになります。そして、それが現存する唯一の公家屋敷になったと言えます。 古今和歌集 より 「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をも和らげ、猛き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり」 講師紹介(主催者:日本比較生活文化学会の記述) しゅくやむつお 宿谷睦夫(千葉日本大学第一高等学校教諭) 〇皇族・公家にのみ歌の指導が許されていた冷泉家では、戦後、陛下に歌を詠進する必要もなくなった皇族・公家等は冷泉家で歌を学ぶ人も途絶えてしまいました。そこで、民間人の中で希望する人を対象に歌会「玉緒会」が昭和57(1982)年に発足いたしました。 講師は昭和60(1985)年より入会され、現在(2004年)20年になります。同時に英語でも短歌を詠むようになって現在20年になりますが、その間に詠まれた歌は日本語短歌(3000首)英語短歌(1000首)に及び、その内英語短歌300首を歌集「アンドラへの歌便り」(星と森出版)にまとめ出版されております。 さらに長歌も日本語長歌(500首)、英語長歌(100首)に及び、その内、日本語長歌百首には曲も付けられ、精選された7首はCDとして発表されております。 愛子内親王のご生誕を機会に折句にも手がけられ、現在(2004年)までに日本語折句(500首)英語折句(130首)に及び、英語折句は勤務校の紀要に発表。さらに、愛子内親王の為に詠まれた5首の長歌の折句はアメリカの作曲家・David Garner氏によって作曲され、本年(2004年)12月の大晦日には、サンフランシスコにて初演されることになっているそうです。 また、産経新聞主催の短歌コンテスト「平成の歌会」では平成11年に京都府知事賞を受賞。また、平成10年には陛下のお招きで「宮中歌会始」にも列席されております。 この度は、20年にも渡って冷泉家で歌を学ばれた講師により、日本の文化の原点でもある当家の歌の生活について発表していただきます。 |
古典短歌講座(第1版) Classical Tanka composition in English (1) |
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