a book, “Identity of Japanese People” by Akira Nakamura.
中村明著「技癢の民(日本人のアイデンティティ)」



謹賀新年(平成20年01月01日)
新年明けましておめでとう御座います。昨年畏友・中村明氏が著書「技癢(ぎよう)の民―(日本人のアイデンティティ)」(西海出版、一五七五円)を出版されました。この著書の中で、私を前人未踏の文学分野を創設した「即興詩人」として紹介して下さっています。

 ここで、中村明氏の@著書「技癢の民」の内容と、A同序文、B同氏の友人が新聞の「新刊紹介」用に準備した記事を紹介します。

@著書「技癢の民」の内容紹介(中村明)

私は「戦後政治にゆれた憲法9条」(中央経済社)に続き、「象徴天皇制は誰がつくったか」というタイトルの本を著しました。二冊の本を書き上げた後、私は戦後の日本を日本国たらしめているのは憲法の「第一章」と「第二章」ではないかと考えました。つまり、政治秩序の形象としての象徴天皇制と民主制の併用という制度を採用し、国防の原則としては平和主義を世界に向かって発信する「憲法第9条」を固く守っていることではないかと考えました。それが日本の外面の原理の根幹であるならば、戦後日本の内面の原理、つまり「日本人のアイデンティティ」とは一体何だろうかと考えました。戦後日本の外面の原理と内面の原理が国民に深く理解されれば、それを踏まえての日本の針路は自ずと決まってくるだろうと思ったからです。戦後日本の内面の原理は何か、をテーマに取材を続け、事実を積み重ねていく中で、一つの結論にたどり着き、「日本人のアイデンティティ」論としてまとめたのが、「技癢の民(ぎようのたみ)―(日本人のアイデンティティ)」(西海出版)です。それが的を射たものであるかどうかは読者の判断を仰ぐだけですが、私にはこの結論に密かな自信があります。「日本人のアイデンティティ」についてはこれまでも多くの考察がなされていますが、一つの概念で示されることはありませんでした。そこで私は具体的な人物や客観的な事実を提示しながら「日本人のアイデンティティ」を一つの概念で表現してみようと考えたのです。
この本の中で、奈良毅・東京外語大名誉教授の哲学体系を結語としながら、「日本人のアイデンティティ」を顕著に発揮し、前人未到の業績を打ち立てた方々に登場してもらいました。ここでは、お二方を紹介させて戴きます。一人は、世界的な脳医学研究者・角田忠信・東京医科歯科大名誉教授と、もう一人は、歌人の宿谷睦夫・千葉日本大学第一高等学校教諭です。
 角田博士は日本人を日本人たらしめている脳の働き、特に6歳から9歳の間に日本語の言語環境の中で育つと、脳幹のスイッチ機能の形成に大きな違いをもたらすことを発見された方ですが、本著ではその学説の概略を紹介させて戴きました。
 宿谷氏は日本の伝統和歌を英訳するばかりでなく、在原業平の「唐衣着つつ慣れにし妻しあれば遥々来ぬる旅をしぞ思ふ」で有名な折句を、日本語では元より英語でも創作し、米国でその折句集「英語折句百人一首(100 tanka-acrositc poems for 100 people)」を出版されました。57577の音節を厳密に守った短歌の形式で英語折句を詠んだ詩人は歴史上宿谷氏が始めてのことであります。英国詩人カーカップ氏は、この形式を「短歌ロスチック」と命名し、宿谷氏にその創始者の名誉を与えました。本著の中で私は、奈良先生の哲学体系を「今、日本人にとって大切なものは何か」の結語と致しました。奈良先生は誰でもが理解出来る言葉でその哲学体系を述べておられます。本著では、奈良先生がこれまでに講演や講話、インタビューや論説やエッセー等で述べられてきた含蓄あるお言葉を整理し、体系化してみました。この結語を読むことによって、これから21世紀を成功裏に生き抜こうとする人々、特に若い人々にとって大いなる人生の指針となるものと思っております。
 「日本人のアイデンティティとは一体何か」を国民の一人ひとりが、とりわけ、日本の明日を担う若者たちが「概念」として明確に認識することになれば、生き方は一段と積極的で洗練されたものになると思います。私はこの書を若者たちへの応援歌として書いたつもりです。日本の未来、世界の未来を真剣に考える人にとって、座右の書となれればこれに尽きる幸いはありません。」

A「技癢の民」―日本人のアイデンティティ(まえがき)

「戦後政治にゆれた憲法九条」を上梓した後、私は一九四六年の制憲議会の会議録を材料に「象徴天皇制は誰がつくったか」を世に問うた。二冊の本を書き上げた後、私は戦後の日本を規定しているのは憲法第一章と第二章ではないか。つまり、政治秩序の形象として象徴天皇制と民主制を併用し、国防の原則としては平和主義を世界に向かって発信する憲法9条を固く守っていることではないか、と考えた。
 それが日本の外面の原理の根幹であるならば、戦後日本の内面の原理、つまり日本人のアイデンティティとは一体何だろう。戦後日本の外面の原理と内面の原理が国民に深く理解されれば、それを踏まえての日本の針路は自ずと決まってくる。戦後日本の内面の原理は何か、をテーマに取材を続け、事実を積み重ねていく中で、一つの結論にたどり着いた。それが的を射たものであるかどうかは読者の判断を仰ぐだけだが、私にはこの結論にひそかな自信がある。戦後の一時期、大抵の日本人は「自分とは何か、自分はどこに所属しているのか、一体何をしたいのか」という生きる目標や、目的意識を欠いたまま、ただ生きるために生きていた。が、一九六四年に海外旅行が自由化され(同年の日本人出国者数はわずかに十二万七千七百四十九人)、一九九〇年になると一千万人を超える人々――二〇〇一年には千六百二十一万五千六百五十七人――が観光やビジネスなどで海外に出かける頃から、欧米諸国の街や人、商品、文化や暮らしぶりを自分の目で見るようになり、日本人にはノーベル賞などを受賞する傑出した人間は少ないが、恐らく民族としての総合力では世界で一,ニ位を争う優秀な種族ではないかと思い始めている。街の電気屋やカメラ屋の高級品コーナーに並ぶテレビ、ビデオやカメラ製品はすべて日本製であり、日本の自動車はどこの国でも「壊れない」と人気が高い。オフィスには日本製のファクス、パソコンやコピー機があり、工場を訪れる機会のあった人たちは、日本の工作機械のオンパレードを見ることになり、日本企業が各国に進出し、現地で高い評価を得ていることを知るとみなわがことのように顔をほころばせる。こうした工業製品を作るためには、精密な部品が必要であり、その精密な部品をつくるためには鉄鋼、非鉄金属、石油化学工業が高度に発達していなければならないことなどに思いをめぐらすと、こうした素材産業の分野には優秀な日本企業が目白押しであることに気付き、「ものづくり日本」の底力に胸が熱くなったりしている。二〇〇五年春、姪の結婚披露宴に出席するため台湾の中の中信大飯店を訪れたとき、戦前の国民学校で日本語教育を受けたという老婦人(一九二八年生まれ)と隣り合わせになった。花蓮に住むという老婦人は流暢な日本語で、「日本人の先生は『愛に国境はない』と言っていました。これも何かのご縁ですね」と話しかけてきた。そして「日本のテレビを毎日、見ています。朝のNHKの連続テレビ小説とお相撲は必ず見ます」「日本人で台湾の国民学校を卒業した人たちは懐かしがってみな台湾に来ます」「戦争で日本は滅茶苦茶にされたのに。戦後の日本は大変な努力ですね」などと話した。恐らく、こうした出会いを多くの日本人が体験し、誰もが口にこそ出さないが、日本民族が総体としてかなり優れていることを事実として受け止め、自分もその民族の一員であることに対する密かな自信と誇りを感じているように思える。アイデンティティという言葉の定義については、本文の中で触れるが、日本人ばかりでなく、ポーランド人やフィンランド人、ドイツ人など世界各国にはそれぞれいろいろな考えや志向性を持った人々がおり、それらの人たちを一括りにして「ポーランド人のアイデンティティはこうだ」というように概念として学問的に正確に論証することは難しい。
 しかし、いわゆる国民国家の中で大抵の人は、同一の言語を話し、その言語によって育まれた文化と歴史を共有し、「自分の存在意義は何か」「自分の人生の目的は何か」などについて考えながら自分の生きざまを検証している。誰もが国家の一員としてのアイデンティティと言われるものを持つ条件の中にあると言っていい。恐らくどこの国の人々も、自らのナショナル・アイデンティティとは何かを強烈に意識しているとは思えないが、それぞれの人がその国に所属することについての誇りや意義、喜びや悲しみを感じながら生きている。
 それは常に周りにいる他者を意識したもので、結果として倫理性の高い心のありようを模索している。それは長い歴史の中で育まれた一つの肯定的で崇高な国民気質のように思える。国民性や民族の特性を敢えて「一言で言えばこうだ」と言えるものがあるように思う。
 日本人のアイデンティティについてはこれまでも多くの考察がなされているが、一つの概念で示されることはなかった。そこで私は具体的な人物や客観的な事実を提示しながら日本人のアイデンティティを「技癢」と表現してみようと考えた。「日本人のアイデンティティとは一体何か」を国民の一人ひとりが、とりわけ、日本の明日を担う若者たちが「概念」として明確に認識し、誰もがその道のエリートになれることが分かれば、生き方は一段と積極的で洗練されたものになる。私はこの書を若者たちへの応援歌として書いた。この本を出版するに当たっては、奈良毅・東京外語大学名誉教授、角田忠信・東京医科歯科大学名誉教授ら多くの人たちからの温かい協力と励ましをいただいた。西海出版社の小川雅子さんはこの本の編集などについて終始細かな心配りをしてくださった。皆さんに心からの感謝を申し上げます。緑立つ二〇〇七年三月末日  中村明
【技癢】他人のするのを見て、腕がむずむずすること。自分の技量を示したくてもどかしく思うこと(広辞苑)

B新刊紹介用記事

「本書の帯に「平成の奇書」とある。元共同通信社記者の著者は好奇心旺盛で、東西ドイツ、ソ連、中国、台湾、フィンランド、ポーランドなどを訪れて、各民族のアイデンティティーを探ってきた。「日本人のそれは何か?」と考えた末、「技癢」という漢語に行き着く。森鴎外が小説「ヰタ・セクスアリス」で使っている言葉だ。「他人のするのを見て、腕がむずむずすること。自分の技量を示したくてもどかしく思うこと」(広辞苑)という、この耳慣れない言葉をキーワードに、聴覚から脳の言葉のメカニズムを知り、人間の本質を探ろうとする角田忠信・元東京医科歯科大学名誉教授、狩谷斎の文献学を発展させることに情熱を注ぐ梅谷文夫・一橋大学名誉教授、政治の道具にならず、筋の良い憲法九条解釈を追求する内閣法制局、シルバーエイジの人達でレーザ光を活用して新商品を開発する軽部規夫氏ら各階各層の人を取り上げ、日本人のアイデンティティは技癢であることを論証しようとしている。その思索の広がりに少し圧倒される。文字通りの奇書、希書だ。



古典短歌講座(第1版)
Classical Tanka composition in English (1)


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