An improvisational writer, Mutsuo Shukuya
「即興詩人」宿谷睦夫



宿谷 睦夫プロフィール
宿谷 睦夫(Mutsuo Shukuya)
歌人/短歌学者/翻訳家

「即興詩人」宿谷睦夫

中村明著「技癢の民(日本人のアイデンティティ)」(西海出版)では、技癢の民の典型的な人物の一人として、「即興詩人」宿谷睦夫氏を第二章第四節で紹介している。

「技癢」―日本人のアイデンティティ
              目   次
まえがき
第一章  アイデンティティ尋ねて 
第一節  アイデンティティ喪失の危機にある台湾人
第二節  国を挙げてアイデンティティづくりするポーランド人
第三節  アイデンティティを見事に確立したフィンランド人
第四節  確固としたアイデンティティを持ち続ける日本人
第二章  日本語の力と日本人の脳
第一節  聴覚から脳の言葉のメカニズムを知り、人間の本質を探ろうとする人
第二節  狩谷?斎の文献学を発展させることに情熱を注ぐ人 
第三節  舞台朗読によって日本語の力を再認識させようとする人 
第四節  英文の短歌折句で世界に日本文化の根源伝えようとする人 
第三章  至る所に技癢の民あり
第一節  政治のはした女にならず、筋の良い憲法9条解釈を追求
第二節  セルビアだけが悪者にあらず
第三節  シルバーエイジの人たちでレーザ光を活用して新商品を開発
第四節  料理をデザインする楽しみ
第五節  国民全体の教育水準を向上
第六節  技癢を感じる人の群れ
終章  祈る力と考える力で日本人は世界平和に貢献 

第四節 英文の短歌折句で世界に日本文化の根源伝えようとする人
▽伝統的な短歌を作り、英語に翻訳する能力を兼ね備えた人は少ない

 千葉日本大学第一高等学校の英語教師(平成21年3月で定年退職)である宿谷睦夫氏に会って、私は古今和歌集を編纂した紀貫之や新古今和歌集を編纂した藤原定家という人物がどんな人物であったかを連想させてくれた。この二人は情緒の世界を歌で詠み表す優れた歌人であるばかりでなく、そのメカニズムを論理的に解説することが出来た短歌学者でもあったからだ。宿谷氏もまさに、伝統和歌の世界観に寸分も違わない情緒溢れる歌をたちどころに詠み上げてしまうばかりでなく、理路整然と伝統和歌の理論体系を説明することの出来る人だ。現代ヨーロッパ随一の詩人と仰がれている英国詩人ジェイムズ・カーカップ氏もザルツブルグ大学出版部で出版した著書「短歌の本」の中で、宿谷氏をこうした視点から褒め称えている。
 海外からの日本文化への関心が深まる中で、宿谷氏はその根源ともなる和歌について、自らが英語で短歌を作るとともに英語で作歌法を世界に伝えることを使命のように感じてきた。伝統的な短歌を作り、しかもそれを英語に翻訳する能力を兼ね備えた人は少ないことを知ったからだ。
 宿谷氏がこれまでに作った短歌は日本語で約3000首、英語で約1000首を超え、折句(注1)に至っては日本語で約1000首、英語では約200首を超えている。
 英文短歌などの交流で知遇を得た中には、宿谷氏の生涯の友であり、師となった人も少なくない。前述した英国詩人・ジェイムズ・カーカップ氏ばかりでなく、アメリカの著作家・ボイエ・ラファイエット・デイ・メンテ氏、同じくアメリカの作曲家デビッド・ガーナー氏があげられる。これら三氏は、宿谷氏が英文の短歌折句を作り、世界に日本文化の根源を伝えようと技癢を感じて打ち込むとき、惜しみない協力者となっている。宿谷氏の地道な活動が徐々にではあるが世界に浸透しているのは、まさにこうした人々の支えがあるからだ。
(注1) 折句   
唐衣   らころも
着つゝ慣れにし   つゝなれにし
妻し在れば   ましあれば
遥々来ぬる   るばるきぬる
旅をしぞ思ふ     びをしぞおもふ

かきつばた」という五文字を各句の頭において、旅の心を詠んでください、と言われた在原業平が現在の愛知県の八橋で詠んだ折句。伊勢物語の第九章「東下り」に紹介されている。「唐衣を着るように馴れ親しんだ妻を京に置いてきたので、遥々やってきた旅がもの悲しく思われる」という意味の歌だ。折句とは和歌の修辞法の一つだが、日本の古典の中には、他に「徒然草」の著者・吉田兼好や佐渡に流された歌人・京極為兼が日記に認めたものを除いて極わずかなものしか残っていない。

▽米国で「英文百人一首折句集」を出版
 宿谷氏は2006年5月、「英文百人一首折句集」(米国・フェニックス社刊)というタイトルの詩歌集をアメリカで出版した。この編集に当たったのがデイ・メンテ氏だ。宿谷氏はその著書の中で、デイ・メンテ氏を「三つの革命的事業を企画した先駆者」として紹介している。その中で最大のものは、アメリカの小学生に英語俳句を作らせる最初の提案者となったことだ。小学生に英語俳句を作らせることは、彼等に短く制限された文章の中に、自己を最大限に表現する力を涵養するのに貢献しているという。デイ・メンテ氏によると、アメリカ人が尊敬する人物像というのは、野球やゴルフといった分野で活躍する人ばかり。同氏には人間の心に感動を与える俳句や短歌を創作する人物がアメリカ人の尊敬の対象となるよう子供の頃から指導したい、との固い信念があるようだ。
 英国詩人・ジェイムズ・カーカップ氏は宿谷氏の英文短歌折句を「短歌ロステイック」と命名した。折句は欧米でも「アクロステイク」とよばれ、より高度な語彙力・表現力を養うために、上級学年の高校や大学で生徒に作らせることがしばしばあるという。デイ・メンテ氏は「短歌ロスティック」という概念を説明する中で、つまり31音節(五七五七七)という制限のある短歌においてもアクロスティックを作ることが出来るということを、宿谷氏の「英文百人一首折句集」を編集・出版することによってアメリカ人に初めて紹介したことになるのだ。
 100年前、英国の童話作家・ルイス・キャロルが数多くのアクロステイクを創作し、ビクトリア女王から賞賛されたことは有名な話だが、英文短歌折句を詩集として発表した人物は恐らく宿谷氏が初めてだろう。ウエブサイトを開いて見ると、「アクロステイク」の分野では宿谷氏の著書「英文折句百人一首」が紹介書の筆頭に上がっている。

▽アジアの人々に即興歌人として紹介されている宿谷氏。
 韓国の知日派の学者K氏は、日本に約十年学び、東京大学で博士号を取得した中国からの留学生に宿谷氏を「即興詩人」として紹介するなどアジアの人々に宿谷氏の仕事振りについて知らせている。宿谷氏はこのとき、中国人留学生の名前を織り込んで、しかも春夏秋冬にわたる四首の折句を即興で詠んでいるが、このことについては、後述する。
 K氏は韓国忠清北道出身で国立忠北大学校行政大学院長として政治哲学を教え、1990年代初めには東大でも講義している。国立忠北大学大学院院長の職を辞した後、夫人と共に来日し、現在はある研究所所長として関西地方で暮らしている。
 私がK氏に共同通信の政治記者としてお会いしたのは90年代の半ば頃であったが、「学問が深く広い人のことを碩学」と言うが、この言葉はK氏のためにあるように思えた。
 K氏は政治哲学が専門だが、古今東西の学問に明るく、とりわけ日本の歴史、文化、学問に造詣が深い。日本語は日本人の識者にも優るとも劣らない格調の高いものだ。洞察力、分析力、直感力に加えて、物事をシンボリックに表現する力は並外れたものがある。
 K氏は最初から親日家であったのではなく、若いころは日本に対して恨みと誤解、憎しみの感情しか持っていなかったという。米国留学時代にライシャワー氏からバイニング夫人の「皇太子の窓」を読むように勧められ、戦後の日本人が敵国の米国に対して敵意も怨念もなく、むしろ尊敬と憧れをもって米国から学ぼうとする姿に驚いた、とバイニング夫人が書いていることを知り、韓国の発展の道は、敵国日本をいつまでも憎んでいるのではなく、むしろ尊敬とあこがれをもって、日本の技術や文化を吸収することだと考えるようになったという。
 K氏は著書の中で、日本の世界への貢献の在り方について、かつての英国のような人を見下す帝国主義でなく、世界をアメリカ化しようとする米国の覇権主義でもなく、謙虚な態度で世界文明の建設に貢献すべきだ、と説いている。K氏は、日本人は世界一の経済大国になったにもかかわらず、素朴で贅沢な暮らしをせず、陰日向なく一生懸命努力する。こうした謙虚な豊かさを実践している日本的生活様式、生活哲学は、世界が受け入れるべき新しい倫理、新しい論理、新しい価値観であり、50億の人間がこの地球上で生きていくためのエコロジカルな妥当性を持っている、と評価する。
 K氏は、人類が挙って認める「最低基礎価値」を設定するとすれば、それは「生態平和」であり、「最高目標価値」を設定すれば、「生態幸福」である。その二つを結び付ける「中間価値」は「自制」である、と強調。人と人との平和、人と自然の平和、人と神との平和を築き、人類が互いに「自制」していくところに人類の真の幸福が築かれるとの理論を展開している。
 K氏は西洋と東洋が互いに理解し合うためには、互いの言語を学び合うことが第一の課題だ、と言い、東洋人は英語、西洋人は日本語を学ぶよう訴え、英国の名門中学に日本語を教える教師を派遣したこともある。
 西洋人にとって、なぜ日本語がいいのか。K氏が挙げる理由は三つある。第一は、日本語を学べばアジアの多くの知的遺産が日本語に翻訳されていることから、それらを享受することが出来る。
 第二は、最先端の学術・文化・科学技術情報を入手するため日本語は役に立つ。又、日本語はアジアの共通語にもなり得る。
 第三は、日本語は機能的に他言語を受容する構造を持っている。文の主体的大意を表す部分は漢字で表記され、補助的な意味の部分は平仮名が用いられる。そして外来語はカタカナが用いられるといった具合であるから、日本語では、どれが本来の日本語で、どの単語が外来語であるか、一目瞭然なのだ。日本語の中に世界中のどの言語も即座に溶け込むことが出来る。
 日本人は国際的にも共有出来る文化を育んできている。短歌、俳句、古典の物語がそれで、K氏は日本人と外国人の若い人々の相互交流を推進したい、と考えている。外国人が日本を訪れると、伊勢神宮のような日本らしさが残っているところを案内するという。西行が「何事の/御座(おは)しますかは/知らねども/かたじけなさに/涙こぼるる」と詠んだ所だ。「日本の深い精神性を理解してもらい、さらにお花やお茶、書道と和歌をも導いていきたい」と日本贔屓(ひいき)を隠さない。

▽ALICEで英文の折句
 宿谷氏が短歌折句を始めるようになったきっかけは愛子内親王が誕生されたときであったという。「ア」「イ」「コ」を句のあたまに置いて「新しき/弥栄あれ/この御世も」という俳句を作った。この俳句は2002年11月26日の朝日新聞夕刊に掲載されたという。その後友人や高校の教え子達の名前を折り込んだ短歌を作るようになったが、これまでに、この折句は日本語で約1000人の人に1000首、英語で約130人の人に200首を詠んでいる。勿論、折句を詠むまでに、短歌を日本語で約3000首、英語で約1000首もの歌を詠んできた背景があった上のことである。
 その後も折に触れて、歌も折句も詠んできたが、2004年10月27日、英国のエリザベス女王の叔母に当たるアリス女王が逝去されたとき、宿谷氏は追悼の短歌としてグレアム・フライ駐日英国大使に句の頭に「ALICE」を折り込んだ次のような英文の折句(注1)を送った。後日、同大使から丁重な礼状が届いたという。この歌は勿論、「英文折句百人一首」に修められている。「歌は神の心も動かし、人の心をも打つ」と紀貫之が古今和歌集の序で述べているが、隠れた一市民の追悼の心遣いが、歌によって英国大使の心を慰めたことは国際貢献に連なるものだと言っていい。

for Princess Alice
(A)mong my yard's plants/
(l)ilies are all flowering/
(i)n the mild sunshine/
(c)hattering are all the birds/
(e)ach to another this morn.
(朝日影/小鳥も歌ふ/我庭に/白百合の花/香る曙)

 宿谷氏は「人間が自然の中でどのように生きていくべきかを学ぶ道が歌道だ、ということが分かってきました。歌は自然を観察し、それに感動し、その自然を生み出した神に感謝するところから生まれるものであり、ただ単なる虚構ではないのです」と語る。
 英語教育に携わる中で、宿谷氏は冷泉家に伝わる伝統短歌の作歌法を学ぶ歌人となり、即興で日本語と英語で短歌はもとより長歌や折句も作り、こうした独創的な「英語短歌折句」という形式も創案しているのだ。
 宿谷氏は学内の紀要に発表した「長歌集の序文*(文尾に全文を掲載)」に「日本の和歌は『万葉集』から始まり、『古今集』を経て『新古今集』で伝統和歌の型が形成されたと一般的に言われています。その根本は何かというと『歌が神への捧げ物』であるということです。ですから赤裸々に『神』という言葉を使うことは禁句となっておりますが、内容は神の創造物である自然に対する賛美、賞賛、感謝というものにすることが原則になっております。」と述べている。

▽ヤムリジムの名前で短歌折句
 2005年2月の終わり、宿谷氏は韓国の学者K氏を友人のインド舞踊家・康米那(カンミナ)氏の自宅に案内した。その時、K氏は中国人留学生・厳麗京(ヤムリジム)氏を同伴していた。
 K氏は宿谷氏を「あなたの名前の各文字を各句の頭に折り込んで、即興で歌を詠むことが出来る即興詩人」として厳氏に紹介した。厳氏が自分の名刺を宿谷氏に渡すと一分もかからずに、「山里に/群々咲ける/竜胆の/静寂(しじま)の夕へ/向ふ秋の日」の折句を詠み上げた。厳氏は北京大学を卒業後来日し、東京大学で神道に関する研究で博士号を取得した才媛であるが、これまでに経験したことのない日本文化に触れ、おおいに驚いたという。
 K氏は詠まれた歌が秋の歌であったので、春の歌になる折句も詠むことも勧めた。すると宿谷氏は、名前の各文字を各句の頭に折り込む折句ではなく、斜めに折り込んだ折句を披露した。これは米国作家・エドガー・アラン・ポーが考案した折句とのことである。厳氏はこれにも驚嘆したが、K氏がさらに、夏・冬の折句も詠むように促したことから、宿谷氏は今度は、誰も試みたことのない逆斜めの折句に挑戦した。しかも、終句からヤムリジムと折り込まれた歌も披露した。
 K氏はまだ、ここに止まらなかった。K氏は、宿谷氏は折句でなければ、歌を詠むのに一分の半分の時間もかからずに詠めることを厳氏に説明し、宿谷氏に再度促すと、宿谷氏はたちどころに「埼玉の/友住まふ里/ 梅の花/水仙の花/蕾綻ふ」という歌を作った。宿谷氏によれば、こうした詩作は真剣勝負でごまかしが利かない。日ごろから訓練していないと、対応出来るものではない。詩作の基礎は冷泉家で学んだ。冷泉家の作歌法には一夜百首を詠むなどがあり、その伝統の奥儀は深いという。


(春)  (夏) (秋) (冬)
八重櫻 燕や 山里に あらざらむ
初むるや花の 蜻蛉群れる里 群々咲ける 寒さ凌きし
香り仄か 幾里行く 竜胆の 北陸に
鳰の島影 小塩のむらに 静寂の夕へ 積む白雪も
打ち眺むれは 向ふ夏の日 向ふ秋の日 やかて溶けゆく
 
へざくら つばくろ まざとに あらざら
るやはなの あきつれるさと らむらさける さむさのぎし
かをほのか いくゆく ンダウの ほくくの
にほのまかげ おのむらに じまのゆふべ しらゆきも
うちながれば かふなつのひ かふあきのひ がてとけゆく

▽歌を作ってみたい、と冷泉家に学ぶ
 宿谷氏が短歌を作るきっかけとなったのは1971年、大学時代から指導を受けていたインドのベンガル語や南西アフリカ諸言語に精通する奈良毅・東京外国語大学教授(当時)の「天地(あめつち)に 生かされてあり この我は 生かしてもあり その天地を」という短歌だったという。
 「奈良先生の短歌は歌に関する私の考えを決定的に変えました。歌は特定の人が作るものではなく、誰もがつくることが出来るもの。奈良先生はそのことをさりげなく教えてくださった。本当の教育者とは、その人の教えや行いを通じて、生徒が自分にも出来るのでは、と思わせることが出来る人だと思います」
 歌人としての出発は奈良氏が年賀状に認めたこの短歌だったというのだ。宿谷氏は、最初は自己流で短歌を作っていたが、1985年、京都市の冷泉家を訪ね、冷泉布美子氏から紀貫之以来の伝統和歌の作歌法を学んだ。「自分でまず和歌を作り、冷泉布美子先生から添削してもらう、というやり方で教わりました。冷泉家の作歌法は自然の描写で始まり、自然の描写で終わる、ということに尽きます。先生が述べる歌人の嗜みは、まずは、歌を五七五七七でまとめられること。第二は即興で歌が作れること。第三は歌を声に出して節をつけて歌う、つまり披講ができる、ということです。披講は作った和歌が音楽として美しいか否かを確かめるもので、この三つの嗜みを磨くことで文学性の高い作品が生まれます」と話す。

▽英語で作歌法を教えたい
 1993年(平成5年)、パリのギメ美術館では「日本祭」の一環として京都の冷泉家に伝わる七夕の伝統儀式「乞巧奠(きっこうてん)」が公開された。「乞巧奠」は明治時代になるまで、宮中で牽牛・織姫の二星に願い事を和歌に託して捧げる七夕の儀式である。
 それが現在でも京都の冷泉家に伝わっている。その和歌は単に二星に捧げるだけでなく、牽牛・織姫に見立てられた男女が一組になって、天の川に見立てた白い布を挟んで対座し、その場で与えられた題の歌を互いに詠みあう「流れの座」という儀式も含まれている。宿谷氏もその「流れの座」の儀式を遂行する一員として随行した。平安時代以来の儀式を行なったところ、パリ市民の日本の和歌に対する関心は大きかった。
 「欧米では、詩人とは限られた特別な人だけに許されるものだからではないでしょうか。日本では誰もが歌を作れるようになることに驚きを覚えたのかもしれません。この経験をきっかけにして、私は和歌を海外に向けて詳しく紹介して行こうと決意しました。」
 
▽「アンドラへの歌便り」
 同年1993年(平成5年)12月、宿谷氏は「短歌事情調査使節団」の副団長としてサンフランシスコとハワイをも訪問することになった。そして、この訪問をきっかけに欧州のアンドラに住む英国詩人・ジェイムズ・カーカップ氏と知遇を得た。カーカップ氏はこの時、藤原定家撰と言われる「百人一首」の翻訳を終えるなど、日本の短歌に強い関心を示し始めていた。日本の伝統的和歌について多くの質問を受けた宿谷氏はカーカップ氏との文通を通じて、その質問への回答と同時に、宿谷氏はカーカップ氏のために英語で創作した多数の和歌を送った。宿谷氏はこれら300首に及ぶ和歌を連歌集「アンドラへの歌便り」として上梓している。
 カーカップ氏も宿谷氏に送った約百首を短歌集「うつせみ」として出版している。その後、カーカップ氏は「百人一首」や日本の古典から現代に至るまでの代表的な短歌三百首余りを英訳し、1996年(平成8年)にザルツブルグ大学から「短歌の本」として発刊した。その中でカーカップ氏は宿谷氏の数首の和歌を紹介すると同時に、文通を通じて、日本の伝統的和歌について深く理解したことを明らかにしている。
 宿谷氏は1999年(平成11年)10月から2年間、毎日ウイークリーに「ジャパニーズ・ポエトリー」と題して、日本の伝統和歌について英語で紹介していた。「2年間の連載中に読者から投稿された英語和歌のほとんどは日本の伝統和歌を作るモチーフを遵守したものばかりでした。公のメデイアから何を発信するかによって読者は大きな影響を受けることを、私はここで実体験することができました」と述懐している。

▽歌を詠む心
 宿谷氏は1999年(平成11年)1月からバイリンガル月刊誌「プラザ・プラザ」で「英文短歌入門講座」を担当し、日本の伝統和歌に基づいた短歌の作歌法を英語と日本語で紹介している。同講座の第5回で短歌を詠む意義などについて宿谷氏は冷泉布美子氏の言葉を引用しながら次のように日本文と英文で書いている。
 「古来歌を詠む心とは何であったろうか。芸術的短歌の作歌法を創案した藤原定家の二十六代目のご子孫である冷泉布美子氏は機関紙「志(し)くれてい」29号の巻頭で『鳥の鳴く声または開花の色香などで四季を知り、ああ春だ、夏だと自然の喜びにひたる日々である。晩春の連休のころには庭の一隅の牡丹の十株ほどが見事に花開き、白もよし、ピンク、えんじもまたよしと一人拍手喝さいの気持ち。
 大きな花を子細に見れば、薄い花弁の弱々しい幾枚もが雌雄の花蕊(かずい)をつつみ豪華を極める。蜜蜂がその中に入り大いに賞賛する。誠に美しい花王であるが、雨にはもろく名残惜しい。
 六月の初めには、姫百合が朝露を分けて深緑の中に錆朱(せいしゅ)を染めて咲き出し、白百合にも優る趣を添えてくれた。花橘(はなたちばな)も馨高く美しい。
 夜のしらむころから鳴く鵯(ひよどり)、四十雀(しじゅうから)、雀、鳩、百舌の声を聞き、蕗(ふき)や牡丹の広葉(ひろは)の玉露(たまつゆ)を愛でつつ庭を歩み、毎朝御文庫の小さな窓に頭を垂れ、階上(かいじょう)の神仏に祈りを込める私である。そして、これらは私の歌の心となるのである』と述べておられる。
 歌を詠む心とは自然を観察して得られる喜びやその賞賛であるようだ。
 冷泉氏は感受性豊かな故に庭の花鳥(はなとり)の声など、自然の美しさをよく味わっておられる。
 冷泉氏が四季折々に詠まれた歌の中から、「庭梅(にわのうめ)」、「春曙(はるのあけぼの)」、「郭公(ほとゝぎす)」、「紅葉(もみじ)」の四首をご紹介する。
 これらの歌は自然への喜びや賞賛である。一つひとつの歌を読むと、冷泉氏の自然への深い感受性、梅や郭公を愛でる心、四季の変化への歓喜、紅葉していく木々に対する深い感動などを感じ取ることが出来る」

「What has motivated poets to compose tanka since old time?
Fumiko Reizei, Head of Reizei Family, the twenty sixth descendant of Teika Fujiwara (1162-1241) who established the method of composition of aesthetic tanka, discussed the motives for composing tanka in the publication,"Shiguretei ", Volume 29, June 20 1989.
“Every day I enjoy watching flowers and hearing birds singing in my yard so that I can recognize the changes of the four seasons personally, without a calendar. In short, I can know whether spring or summer has already come or not, hear which birds are singing as well as various flowers and insects etc.
When the succesive holidays are coming (the first ten days of May ), at the edge of my yard, dozens of peonies come out beautifully every year. All colors: white, pink, dark red etc., are pleasing to me. I, myself, unconsciously applaud them. Even bees flying from everywhere seem also to praise them by coming to each petal.
At its best, the peony is the king of flowers, but it's a pity it is so fragile when it rains. At the beginning of June, brown lilies with raindrops on their petals start blooming against dark green and look better than white lilies. Wild oranges also smell fragrant and look pretty.I always walk in my yard in the early morning and hear such birds as bulbul, great tit, sparrow, dove, and shrike singing.
I also watch dew on the leaves of butterburs or peonies and can feel at sympathy with those who lived in olden times. All that I experience every day, as I discussed above, motivates me to compose tanka. ”
The motives for composing tanka seem to be exaltation as well as the enjoyment which we get when we observe nature.
She enjoys watching flowers and hearing birds singing in her yard and she also appreciates nature because of her rich sensibility. I would like to show you the following four tanka composed by Fumiko Reizei on themes such as “The plum blossoms in my yard”, ”Dawn in spring “, "The little cuckoo “, “The colored leaves”, which are my favorite tanka among her works composed in each season.
They seem to show her exaltation as well as enjoyment of nature. When I read each tanka , I can feel deeply her sensibility for nature, affection for the plum blossoms and the little cuckoo, delight in the changes of seasons and the deep impression of the colored leaves.

The white plum blossoms,/ which are abloom in my yard/
in the gentle breeze,/ smell all the more fragrant as/
I watch them in the evening.  by Fumiko Reizei
「夕ぐれは/一入(ひとしほ)香(か)こそ/かよふなり/仄(ほの)かに白き/庭の梅が枝(え)」

The dawn is breaking/ on Mt. Higashi’s high peak/
with cherry blossoms,/ above which the wild geese fly/
away, bidding us farewell. by Fumiko Reizei
「帰る雁(かり)/鳴きて越へ行く/東山(ひがしやま)/花の峯より/白む曙(あけぼの)」

I heard the cuckoo/ whispering its longing for/
its native village/ at the hut in the mountain,/
where wild oranges are fragrant. by Fumiko Reizei
「ふる里を/しのびねに鳴く/郭公(ほとゝきす)/橘(たちばな)薫(かを)る/山庵(やまいほ)に聞く」

Who has woven them/ and who has dyed this mountain/
like a colored print?/ one peak after another /
is crowned with many red leaves. by Fumiko Rezei
「誰(た)が織るや/誰(た)か染めたるや/錦(にしき)なす/峯また峯に/つづく紅葉葉(もみじば)」

▽タンカロスティックは偉大な発明
 カーカップ氏は、宿谷氏の英文の短歌折句について「この珍しい遊戯性のある詩歌の形式は日本の歌人・宿谷睦夫氏の発明であり、『タンカロスティック』と呼ぼう」と宿谷氏の著書「英文折句百人一首」への寄稿随筆“TANKACROSTIC”の中で次のように述べている。
 「アクロステイック(acrostic)というのはある詩のそれぞれの行の始めの文字を読み進んで行くと、ある意味をもつ詩歌のことである。しかし、これは基本的な形式として色々な形があり、散文形式のものもある。ある学者によると、このアクロステイックは元々は神聖な聖書の一節を読上げる時に、その記憶を助けるために用いられたものだという。旧約聖書には『初心者』として学者に知られているアルファベットタイプのものとして見分けのつくアクロステイックがある。というのも、各行の最初の文字がアルファベットの順序に従っているからである。詩篇の百十九篇にはこの形式の最も精巧な例がある。そこには、ヘブライのアルファベットの二十二の文字が正しい順序で使用されている。
 日本人は創造的な芸術や科学等のあらゆる分野で偉大な発明の才があることで世界的に有名である。そこで、私は宿谷睦夫氏がそういった人々の持っている地位に着くのに値すると思っている」
 宿谷氏の業績は、日本人の多くが大きな仕事を成し遂げる潜在力を秘めていることを示している。

宿谷氏は学内の紀要に発表した「長歌集の序文*」
「英文長歌集・序」
 日本の和歌は「万葉集」から始まり、「古今集」を経て「新古今集」で伝統和歌の型が形成されたと一般的に言われています。その根本は何かというと「歌が神への捧げ物」であるということです。ですから赤裸々に「神」という言葉を使うことは禁句となっておりますが、内容は神の創造物である自然に対する賛美、賞賛、感謝というものにすることが原則になっております。
それでは、そのような歌はどのような手順で創作していくのでしょうか。先ずは自然の「観察」から始まり、それに「感動」し、そこから生まれる喜びから、自然への「感謝」が生まれてきます。その自然に対しての感動や感謝、さらには自然への賛美や賞賛、又その栄光を称える気持ちを言葉にしたものが歌になっていくのです。紀貫之も「古今和歌集」の序文の中で「花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、歌を詠まないわけにはいかない」という内容のことを言っております。「万葉集」の中には短歌ばかりでなく、二百五十首を越える長歌が掲載されております。佐々木信綱は著書「歌のしおり」の中で、「歌は人の想ひより出るものなれば、想ひ余りある時は自ずから長くもなりゆくものなり。長歌は人の長き想ひを連ねたものなり」と述べております。  
この度は、生徒のリクエストがきっかけになって月一首を目標に始まった長歌が四年を経過して五十首に達しました。習志野の四季折々の自然を中心に、その風情を歌い上げておりますので、それを心行くまでご堪能して戴ければ幸甚に存じます。生徒に英語学習へのヒントを与える為に、英語への翻訳も試みております。英語は「学ぶ」だけでなく、「習う」ことが最も大切です。この英文長歌集が、「学んだ」英語を如何に「習う」かを生徒に習得させる上で良き手本になれれば幸甚に存じます。

 “The Choka Collection”    by Mutsuo Shukuya

It is said that the Japanese traditional tanka form was constructed step by step by many poets, such as Kakinomoto no Hitomato in Manyoshu, Kino Tsurayuki in Kokinshu, and Fujiwara no Teika in Shin-Kokinshu. What is the fundamental concept of the traditional Japanese tanka? I think it is to make an offering to the Creator who produced everything. Tanka itself contains the human heart's desire to admire, praise and thank nature, as well as the Creator himself. How can we compose tanka in the traditional tanka form that the Japanese poets have constructed over the ages?
First of all, we should watch and investigate the various phenomena which occur in nature, which the Creator produced. While doing so, we learn to feel or be impressed by their beauty and then the heart to admire and praise them and thank nature, as well as the Creator himself, will spontaneously develop. It is in poetry that we human beings express our hearts, as Kino Tsuyayuki declared in the preface to Kokinshu, which he compiled.
The poet, Sasaki Nobutsuna says in his book, "Uta no Shiori": as poetry is to express the human heart which the poet feels when watching the phenomena that occur in nature, the phrases of poetry become longer when his/her heart lingers long on nature. Thus choka, long poems, emerge." I have been composing these choka once every month for four years, ever since some of my students asked me to compose one. I have composed them in English, as well as in Japanese, to help my students learn how to Master English.
I hope you readers enjoy reading these choka poems.


古典短歌講座(第1版)
Classical Tanka composition in English (1)


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